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Seasons 1st Seasons 1st 主催:CeNti 編集:CeNti 公開日:2015/08/19 出演者 VAIN altema sakaro Nami Iful ふかわ allayz Goat Rai Reito nanohs Modo Sent a_L_P Ivy Airi poseidon kazu
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Seasons 2nd Seasons 2nd 主催:CeNti 編集:CeNti 公開日:2016/04/10 出演者 Goat aisle Airi ryu cafca Damaster sent Nami poseidon Kuchibue oZone K Mey VAIN Drowsy altema ace〆 Iful
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Seasons 3rd Seasons 3rd 主催:CeNti 編集:CeNti 公開日:2017.7.8 JEBページ DLリンク 出演者 Goat miyana chicken cafca VAIN airi Nemuriya Beige altema Reamtea hash rpzn obje
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『4seasons』 夏/窓枠の花(第四話)より続く ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― §6 ガラリと窓を開けると、途端に蝉の声が飛び込んできて驚いた。夏のさかりであるから には蝉が鳴いていて当たり前なのだけれど、伏せっているときにはこんな大音声すら耳に 入っていなかったのだ。 遠く雲雀の啼く声が聞こえる。一体どの辺りを飛んでいるのだろう。見つけようと思って 青い空を探してみたけれど、さんさんと輝く太陽が眩しくて眼を開けていられなかった。 どこにでもある、夏の朝の風景だった。 蝉も、鳥も、空も、雲も。私があんな状態であっても我関せずと、いつも通りの日々を 変わらず過ごしていたのだろう。 それは、不思議と好ましいことに思えた。 病床で自分のことばかり考えながら過ごしていると、自分とそれ以外との境界がわかり づらくなる。こんな風に自分と関わりなく回っている世界を見て、私はやっと日常に帰れた 気がした。 うーんと大きく伸びをすると、身体がばきばきと音を立てる。 眩暈がするほど気持ちよくて、自然と吐息が漏れだした。 「やっぱり健康っていいなー……」 声に出して云うと、一層強くそう思えるのだった。 一階に降りると、なぜか居間に家族が勢揃いしていた。 お母さん、お父さん、まつりお姉ちゃん、いのりお姉ちゃん、そしてつかさ。 「あれ? みんなどうしたのよ。雁首そろえて集まっちゃって」 私がそう云うと、お母さんが呆れたように云った。 「あなたねぇ。どうしたのじゃないわよ。やっと本調子になったみたいだから、ちゃんと あなたの顔を見ておこうと集まってるんじゃない」 「えー、何よそれ、たかが夏風邪で大げさなんじゃない?」 「あら、それもそうかもしれないわね。じゃあ、快気祝いで買っておいたこれ、かがみは いらない、と……」 意地悪くそう云っていのりお姉ちゃんがテーブルに置いたものは、一玉五千円はしそうな 大きなマスクメロンだった。 “みんなで食べちゃおっか”なんてニヤニヤ笑いながら云ういのりお姉ちゃんに、私は 持ち合わせがある限りの白旗を揚げまくったのだ。 「なんかまつりお姉ちゃんの分だけ大きくない?」 「細かいこと云うなって。大体これ、私もお金出したんだからいいんだよ」 「はぁ? お金出したからいいって、それじゃ私の快気祝いになってないじゃないのよ」 「こらこら二人とも、喧嘩はよしなさい。お父さんのあげるから、な?」 「もう、あなた……どうせじゃれあってるだけなんですから」 「なんで私がかがみとじゃれあわないといけないのよ。じゃれあうっていうのは、かがみと つかさみたいなのを云うんだよ?」 「え、えへへ…」 「つかさって云えば、かがみはちゃんとつかさにお礼云った? この子、ずっとつきっきりで 看病してたのよ」 いのりお姉ちゃんがそう云ったとき、幸せそうにメロンを咀嚼していたつかさが少しだけ 哀しそうな顔をした。 恐らく誰も気づいてはいないはずだ。その表情の変化に気づけるのは、双子として共に 生きてきた私だけ。 「うん、ちゃんと云ったわよ、ね、つかさ?」 「うん! それにね、わたしずっとお姉ちゃんにお世話になりっぱなしだったから、少しだけ 恩返しできて嬉しいんだよー」 「そうかそうか」 お父さんもお母さんもいのりお姉ちゃんも、つかさを見て楽しそうに笑っている。いつも にこにこと無邪気なつかさは我が家のアイドルで、特にいのりお姉ちゃんは、歳の離れた 妹が可愛いと云って溺愛しているのだ。もっとも、歳の離れた妹なら私も同じはずなの だけれど。 そんな即座に自分にダメージが跳ね返ってくるだろう無粋なつっこみは、しないほうが いいのだろう。 まつりお姉ちゃんは、私とつかさを不思議そうに見て、それでも何も云わなかった。 今はその気遣いがありがたい。 あんな状態の私を拾って世話を焼いてくれたのに、何も訊かないでいてくれている。 正直なところ、私はまつりお姉ちゃんのことがあまり好きじゃない。 他人の心情に無頓着で、思ったことをすぐに口に出す。好意のつもりで自分の好みを押し つける。そのくせ短気で、思い通りにいかないとすぐにぶすっとする。 それでもこんなときには、私たちは否応なく家族なのだと思い知らされるのだ。好きとか 嫌いとか、馬が合うとか合わないとか、人間同士だからそれはあるけれど。 そんなことを全部吹っ飛ばして、私たちは家族なのだ。 だから誰かの危機だと思えば骨身を惜しまず助けるし、何も訊かずに夜通し面倒を見たりも するのだろう。 思い出す。 去年の暮れ、まつりお姉ちゃんがぐでんぐでんに酔いつぶれて帰宅したときのこと。 口が開いたショルダーバッグを引きずって、片方のヒールが折れたまま。 なにがあったのかはわからない。それでもそれはいつものまつりお姉ちゃんではありえなかった。 起きていたのは私だけで、下手にみんなに知られたくはないだろうからと。 吐瀉物で窒息しないように落ち着くまでみていたし、処理もした。財布を捜しに駅まで 歩いていったりもした。嫌だったけれど、それをしないという選択肢は頭によぎったことも なかった。 同じようなことがまたあったら、私は迷いもせずに手助けをするのだろうし、きっとまつり お姉ちゃんにしてもそうだろう。 そんな想いを込めて見ていたら、何を勘違いしたのかまつりお姉ちゃんは。 「そんな眼で見ても上げないわよ。メロン、もう食べちゃったもん」 なんて云って、メロンの皮をひらひらと振った。馬鹿かこの人は。 ――前言撤回。少しは迷うと思う。 やがてそんな家族たちも一人減り二人減りしていった。仕事に、ゼミに、遊びにでかけて いって、居間に残ったのは私とつかさだけだった。 ふうわりと風が吹き寄せる度に、風鈴がチリンチリンと高い音を立てて踊る。張られた すだれが漂うように揺れて、横たわったつかさの肌に複雑な影を落としていた。それは 水面下に差し込む光の紋様にも似ていて、まるで海の底にいるみたいだった。 ジーワジーワと蝉が鳴いている。潮騒のように鳴いている。 つかさは畳の一点を見つめて動かない。 云わないといけないこと、話さないといけないことはたくさんあるけれど、たくさんありすぎて 何から話せばいいのかわからなかった。 だから私も畳にべったりと寝そべりながら、肘をついて庭を眺めている。 築山泉水庭園の池で、錦鯉が泳いでいた。ぱしゃりと跳ねると、強い陽射しに水しぶきが きらきらと輝いた。 その音に、つかさも池の方を見たかなと思って振り向くと、つかさはいつの間にかじっと 私を見つめていた。 「……ごめんね」 その顔をみた途端、私の口からは考えるより先に言葉が漏れ出した。 心配かけてごめんね。 迷惑かけてごめんね。 今まで黙っててごめんね。 こなたのこと、好きになっちゃってごめんね。 云ってみて初めて、それこそ私が云いたかった言葉なのだと気がついた。 「……なんで謝るの? お姉ちゃん、謝らないといけないようなこと、なにもしてないもん」 横たわったまま。両手を力なく投げ出して、眼だけは私を見つめながらつかさは云う。 「……それでも、ごめんね。こなたは、つかさが最初に仲良くなった子なのに……なんか、さ」 「……そんなの……。こなちゃんのことは大好きだけど、わたしはそんな気持ちになれないし……」 「そう……そうだよね……」 私が呟くと、つかさは急に上体を起こして私のほうににじり寄ってきた。 じっと私を見つめるつかさの眼が大きくて綺麗で、思わず知らず惹きこまれそうになる。 桔梗色の瞳に同じ色の私の瞳が映っていた。無限の合わせ鏡のように映る双子の瞳。 「……不思議だね。お姉ちゃんとわたし、同じお腹からでてきて、同じものを見てきて、 ずっと一緒に生きてきたのに。お姉ちゃんは女の子を好きになれる人で、わたしはそうじゃない……」 つかさは小首を傾げて本当に不思議そうに云う。 まるで今日始めてあった人を見るような眼をしていた。 「ついこの間まで、わたし、お姉ちゃんとわたしの二人で一人だって、ずっと思ってた。 ……なんか上手く云えないけど……お姉ちゃんだけは、お姉ちゃんじゃなくって、“わたし” なんだって……」 「……わかるよ。云わなくってもわかるよ。――私も、同じだったから」 いつからだろう。 いつから、私たちは分かれてしまったのだろう。 同じ子宮で一つの胎盤を共有した。同じ血を、栄養を、ホルモンを、酸素を二人で分けあった。 同じ時に産まれ、同じ産湯に浸かり、同じ母乳を吸って、同じように大きくなって、同じ 言葉を喋って。 初めて立ち上がったとき、私たちはお互いを支え合っていた。 私の視界から、片時もつかさが離れたことはなかった。つかさの視界から、片時も私が 離れたことはなかった。 そうだ、いつでも一緒だったのだ。 二人で過ごしてきた膨大な時間。それが自然と思い浮かんでくる。思い出にある情景は、 その一つ一つが雪のように朧気で。 海底のようなこの部屋に、思い出がマリンスノーみたいに降り注ぐ。 ふわふわ。 ふわふわ。 思い出が舞い落ちてきて、降り積もる。 二人で過ごした時が降り積もる。 小学校の入学式、別のクラスに引き離されて泣き出した。 赤い夕焼けが怖くって、二人で手を繋いで走って帰った。 私が自転車とぶつかって鎖骨を折ったとき、つかさは自分で自分の骨も折ろうとした。 図工の時間、みんなが両親の絵を描いていた中、私とつかさだけはお互いのことを描いていた。 林間学校、つかさはこっそり私の布団に忍び込んできて、朝になってクラス中からからかわれた。 つかさの悪口を云った男子に殴りかかったけれど、それで一番傷ついたのがつかさなのだと その夜に気がついた。 私がもらったラブレター、つかさが勝手に捨ててしまって、しばらく口を利かなかった。 大晦日に二人で徹夜をして、なんだか大人になれた気がした。 こっそりお酒を飲んでみた日、二人で折り重なってぶっ倒れた。 陵桜の合格通知が届いたとき、つかさは安堵のあまり泣き崩れた。 権現道の桜並木を一緒に歩いた。 そしてこなたと出会った。 そしてみゆきと出会った。 私の人生の中で、あらゆる場面につかさがいたのに。 それは半身のようにいつでもそこにあったのに。 私たちは、いつの間にか違ってしまったのだ。 つかさはもう、私の半身ではありえなかった。 私たちはまるでお互いの性格を補うように、正反対の性格に育った。 細かくて理知的で気むずかしい私と、大らかで情緒的でおだやかなつかさ。それはまるで、 互いが互いの周囲を回り一つの重力場を作り出す、二重連星の恒星のように。 けれどそのバランスは壊滅的に崩れ、もはや元の関係には戻れない。 私はつかさの身体にすら欲情することができる。けれどつかさはそうじゃない。 それはもう、同じ人間ではありえない。 つかさはもう、私とは違う別の個人だ。大事な大事な、可愛い妹だ。 二人の道が一本に交わることは、もう、二度とない。 「明日、こなたに会いに行こうと思うんだ」 私がそういうと、つかさは静かにうなずいた。 ――大学に受かったら、一人暮らしをしよう。 そう、思った。 §7 この家にくるのも久しぶりだ。 といっても精々一ヶ月半来ていないくらいでそう感じるのだから、いかに私が泉家に入り浸って いたのかがわかるというものだ。 思えば去年の秋口まで一度も来たことがないことを不思議に思うほど、泉家の空気は私に しっくり合っていた。 勝手口の脇に自転車を止めて、玄関に向かう。 呼び鈴の下に相変わらず“犬”のマークが張られたままになっているのを見て、思わず 口元がほころんだ。 それはこなたが中二の冬に亡くしてしまったという、犬の“惣一郎さん”の忘れ形見だ。 そのことを教えてくれたときのこなたの寂しそうな顔を思い出す。 こなたはあまり家のことや昔のことを話す子ではなかったから、こなたがそんな顔をしている というのに、私は少しだけ嬉しかった。 一年生のころもそれとなく家族構成のことを訊ねたし、家に行ってみたいそぶりもみせたのだ。 けれどこなたはその度にはぐらかしていたから、あまり家族のことに触れて欲しくはないのだと 思っていた。 けれど二年生になってしばらくしてから、こなたは色々なことを話してくれるようになった。 お母さんのこと、お父さんのこと、家のこと、子供の頃のこと。 それはきっと、一年つきあってきてやっと私たちに気を許してくれたからだと、そう思っている。 こなたはいつも明るくてハイテンションで飄々としているから、みんなは脳天気な子だと 誤解しているけれど。 本当は誰よりも繊細で優しくて、そして人間関係に臆病なのだと、私は知っている。 震える指で呼び鈴を押すと、チャイムの音が響き渡る。 私はここに決着をつけにやってきた。 思い出す。風邪で寝込んだ私にこなたが会いに来てくれた日のことを。私が寝ぼけて抱きついて しまった日のことを。 あのとき、私は混乱していてそのことに思い至らなかったけれど、後で冷静になってから 気づいたことがある。 やはり、こなたが私に性的な関心を抱いていることはありえないのだと。 あのときのこなたの反応。突然私に抱きすくめられて、こなたは照れるでもなく慌てるでもなく、 ただ困惑していた。 強く抱き締める私に対して、ただ痛いから離してくれと云った。 なんでこんなことをするのかわからない、そういう顔をして。 もしこなたが女性性に対して性的指向を持っていたら、そういう反応をするはずがないと思った。 それは最初からわかっていたことだった。 こなたが同性愛者/両性愛者だったら、普段からあんなに気軽にスキンシップをしてくる はずもない。あんな風に無邪気に触れられるのは、相手に性的な関心がないからに他ならない。 わかっていたことだけれど、改めてその事実を突きつけられると、やはり酷く落ち込んだ。 ドアが開いて、こなたが顔を出した。 「……や、久しぶり」 「……四日前に会ったばっかだろ」 「あはっ、そいえばそうだっけー。なんか随分会ってない気がしてたよ」 招かれるままこなたの部屋に入ると、その匂いにくらりとする。忘れていた、この部屋は こんなにもこなたの匂いでいっぱいだったのだ。 それは別に体臭や香水の匂いではないし、ことさらに強い香りというわけでもなかったけれど。 それでもそれは明確にこなたの匂いなのだ。 この部屋はこなたがずっと暮らしてきた空間で、隅々にまでこなたの意志が働いている。 なんだかこなたの胎内に取り込まれたような気持ちになった。今までの私は、よくこんな 部屋で安らぐことができたものだ。あの頃からは随分遠いところにきたと思った。 小さなノックのあと、ゆたかちゃんが部屋に入ってきた。 「かがみ先輩、いらっしゃい」 そう云って、持ってきた麦茶をテーブルに置いてくれた。お礼を云う私に微笑むけど、 なんだか少し緊張しているようにみえる。 こなたは私とのことをどの程度話しているのだろう。それが気になったけれども、訊いて どうなるものでもなかった。 ゆたかちゃんが出て行くと、部屋に沈黙が訪れる。こなたはベッドに寄りかかって、 ちびちびと麦茶を舐めていた。 つかさのときと違って、この沈黙は気詰まりだ。 「……こなた、その、色々とごめん!」 私はがばりと手をついて謝った。 「やめてよ。かがみはきっと、謝らないといけないようなこと、なんもしてないよ」 まるでつかさみたいなことを云う。 「そんなことない! 実際あんたが云ったみたいに、このところあんたのこと避けてたのは 確かだし、会わないようにしてたのも本当だもの。……それに、お見舞いに来てくれた日 だって……」 「うん、まあ……」 こなたは口ごもってもごもごしたあと、雰囲気を変えるようにことさら明るく云った。 「あー、まあ、あんときはへこんだよね。わたしだって勇気出して会いに行ったのに、 追い返されるとはねー」 「……う、ごめん…」 「それに、寝ぼけて抱きしめられるとは思わなかったよ。ぬふふ、やっぱりあれ、オトコが 出てくるエッチな夢でもみてたのかな?」 いつもの猫口になった口元に手を当てて、意地悪そうに笑う。 私はそれに顔を赤らめてそっぽを向いた。 今まで何度も繰りかえしてきたように。 こなたにからかわれる度に見せてきた反応を思い出して。 大丈夫、きっと上手くやれている。 「あー、やっぱりオトコなんだぁー! 誰かな? 誰かな? かがみんの想い人は一体誰かな?」 「う、うるさい、うるさーい! 真面目な話してるときにちゃかすなよ!」 嬉しそうに頬をつついてくるこなたを振り払って叫んだ。 頬はきっと赤いだろうけれど、心はどこまでも醒めている。 「あ、あれはその……。そういうこともちょっとはあったけど……」 言葉を濁し、小声で云う。 「それより、風邪じゃなくてインフルエンザだったから、あんたに移しはしないかって心配 だったし……、喧嘩したばっかだったし、お風呂入れてなくて自分の臭いとか凄い気に なってて……で、なんか色々混乱しちゃってね……本当、ごめん」 神妙に見えるように、顔を伏せた。 それは全て用意してきた言葉だ。 多少のイレギュラーはあったけれど、上手くやれていると思う。 上手に嘘を吐くコツは、変にディティールを作らず本当の中に織り交ぜることだ。 「そっか……うん、わかる、かな……」 「……ほんとは、来てくれて嬉しかったんだからね」 こなたの手に触れて、軽く握った。 普通の、同性の友達同士でするような触れ方で。 自然で、当たり前であるかのような握り方で。 ざわめく劣情は心の中で何重にも封をして。 それが漏れないように、決して溢れないように。 「そ、そっか……。やー、なんかこういうの照れるねー」 桜色に染まった頬を空いている方の手で掻きながら、こなたが云う。 「おいおい、普段ツンデレツンデレ云っといて、いざデレたらあんたが照れんのかよ」 「む……むう」 「それでさ、そもそもの発端。なんで私があんたのこと避けようとしてたのか、聞きたい でしょ?」 「うん、聞かせて」 ――私は語った。私は騙った。 進路のことで迷っていたこと。みゆきに差をつけられて焦っていたこと。伸びない成績に 悩んでいたこと。 それなのにこなたがのほほんとしているから。本当はやればできるのにやらないで遊ん でいるから。 将来のこととか、やりたいこととか、私はこなたのことをこんなに気にしてるのに、こなたは 何一つ考えようとしてなくて。それがなんだか悔しくて哀しくて。 だから、勉強を見てあげたりしなければ、こなたも自分でやろうとするかもしれないと。 勉強で忙しいから会えないと云えば、こなたも自分もやらないといけないと思ってくれる かもしれないと。 それが、そんなにこなたのことを傷つけるなんて思っていなかったと、改めて考えると 自分が非道いことをしていると気づいて青ざめたと、そう云った。 ――涙を流しながら。 その涙は嘘じゃない。本心を隠して心にもないことを云う私が哀しくて、自己憐憫で流した 涙だった。 けれどこの涙はきっとこの嘘を補強してくれることだろう。 ――私は、上手に嘘を吐こう。 この感情が人を傷つけてしまうのなら。 この棘が誰かの心に刺さってしまうのなら。 私はそれを鎧ってしまおう。決して表に出ないように、鋼鉄の鎧で覆い隠そう。 たとえその内側で、棘が私の身体に刺さったとしても。 大丈夫、自分が傷つくだけなら、私はこれからも生きていける。 きっとそれが普通になる。痛みを抱えて生きるのが普通になる。 人間は意外と強いから。 いつかそれにも慣れるから。 ――だから私は上手に嘘を吐こう。 避けることはもうしない。 逃げることももうしない。 伝えることも、決してしない。 そんな感情などないかのように。 まるで普通の異性愛者のように。 私は完璧な演技をしよう。 そうしてこの人生を楽しもう。 せめてこの劇場に幕が降りるまで。 「かがみ……ごめんね。わたしの方こそ、本当、怠けてばっかで。やらないといけない こと先送りしてばっかで……。かがみはそんなにわたしのこと考えてくれてるのに……」 そう云って涙ぐむこなたの額に私の額をこつんとくっつけた。 「私たち……たまにこんな風にすれ違うかもしれないけど、それでも私、ずっとこなたと 友達でいられたらいいなって、思ってる」 「……うん、かがみ。わたしもだよ。わたしたち、ずっとずっと、友達だからね!」 顔を真っ赤に染めながら嬉しそうに笑うこなたが本当に可愛くて。 頬を伝う涙の軌跡が驚くほど綺麗で。 私は心で血を流す。 大丈夫。きっと大丈夫。 ほら、私はこんなに上手に心を殺せてる。 ※ ※ ※ ひび割れて壊れてしまいそうな身体を引きずって、家にたどり着いた。 このままベッドに倒れ込んでしまいたいけれど、まだやらないといけないことがある。 「……仲直り、してきたよ」 そう云うと、つかさは哀しそうにうつむいた。 「……そっか……仲直り……。それがお姉ちゃんが決めたことなんだね」 「うん」 「わたし……わたしに、なにかできることないの!? わたし、馬鹿だから、どうしたら お姉ちゃんのためになるのか、こなちゃんのためになるのかわかんないけど! でも、なん でもするから!」 はじかれたように顔を上げて、つかさは叫んだ。 私はしばらくその桔梗色の瞳を見ながら考えたけれど、何も思いつかなくて首を振った。 「つかさ……あんたは、あんたはそこでずっと笑ってて欲しい。……あんたが幸せそうに 笑っていれば、私はきっと耐えられるから」 そう云った私に、つかさは微笑みを浮かべてくれたけれど。 涙が零れてしまえば、それはもう笑顔とは云えなかった。 もう眠りたい。 力なくベッドに倒れ込めば、窓から吹きこんでくる風が、垂れ下がった私の髪を揺らす。 八月の風は、熱気を孕んで。 髪と同じように、窓枠の花も揺れていた。 それは想い人からもらった大切な花。 少し桜色がかったマーガレット。 花言葉は『真実の友情』。 それと『恋占い』。 そしてもう一つ。あの後みゆきに教えてもらった花言葉が、もう一つある。 『秘められた愛情』。 それを思い出して、私は乾ききった薄い笑みを浮かべる。 肌寒い荒野にたった一人佇んでいるような感覚。 八月の風も、そんな私を暖めるには足りなくて。 閉じ行く瞳の先、細くなった視界の中で。 花びらがひとひら、風に吹かれて舞い落ちた。 (了) ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 『4seasons』 秋/静かの海(第一話)へ続く コメントフォーム 名前 コメント かがみって姉さん呼びだよね 漫画と呼称が違うとやっぱり違和感ある -- 名無しさん (2017-05-11 06 35 16) かがみが切なすぎです(泣) -- チャムチロ (2012-08-14 14 15 02) 全米どころじゃないさ。 恐らく世界が泣けるだろう。 -- 名無しさん (2009-02-07 01 39 20) 全米が泣いたよ、これはwww すごすぎww -- taihoo (2008-11-29 02 19 08) 作者GJ 映画化ry -- 名無しさん (2008-08-01 03 38 20) ・・・検索したら有った・・・ -- 名無しさん (2008-04-12 06 17 46) 今気付いたが続きがまだ出てなかった・・・orz 久々続きが気になって堪らない小説に出会ったな・・・ っていうか文庫本で出してくれ即買いするから そして感想の連投失礼しました -- ファンの一人 (2008-04-12 06 15 57) エロ百合話期待してた俺の汚れが流された。 百合を見る目が変わるな。当人は真剣なんだよな~。 しかも片思いかもしれないとかもうね、百合をいやらしい目で見てた俺は猛省するしかない -- 名無しさん (2008-04-12 06 09 45) ここで終わっても有りの様な雰囲気だが続くのか。 どんな結末を迎えるのか期待より不安が強いですw 一つの愛の形に苦しむ、かがみんには幸せな結末を望みたい -- 名無しさん (2008-04-12 06 03 26) 同じ性のそれも親友を愛してしまうとこんなにも苦しいのだろうか……かがみの苦しみながら悩んで出た答えに全俺が泣きました。 -- 名無しさん (2008-03-31 05 31 07) 同性愛について考えさせられるな。 にしてもなんとすきとおった感じのするお話。gjです -- 名無しさん (2008-01-28 00 27 06) ああ、なんだ。ただの神か。いや、まあ、しってたけどさ -- 名無しさん (2008-01-26 18 36 09) あなたが神か -- 名無しさん (2008-01-24 13 30 35) 映画みたいに絵が浮かんできます -- 名無しさん (2008-01-20 21 01 49) 神過ぎる・・・ 切ない、清らかな文章で久しぶりに心が震えた -- 名無しさん (2008-01-20 17 24 16)
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『4seasons』 夏/窓枠の花(第五話)より続く ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― §プロローグ ――私たちは、海のような関係だと思う。 ※ ※ ※ スターターが右手を高々と挙げると、競技場に緊張感が走った。 両手を突き、ぐっと腰を上げて前方を見つめる選手達。それぞれに少しずつフォームは 違えど、ゴールを見据える眼差しの強さは皆同じだった。 ターン、と乾いた音が高い空に吸い込まれれば、皆一様に走り出す。 スタートのタイミングはばらばらで、その瞬間すでに勝敗の何割かはついてしまっている。 高く腿を上げ、振り子のように正確に腕を振る。そのかもしかのような脚に、引き締まった腕に、 余分な肉のそぎ落とされた身体の線に、のびやかな力強さがみなぎっていた。 その有様が、美しいと思った。 ただ自分の身体を動かすことだけを追求して、ただ自分の肌だけで世界と触れあって。 余分なこと――自意識とか、自分らしさとか、思想とか――そういうものを全部とっぱらって、 ただ最小の自分、肉体を持つ動物としての自分であるということ。 そんな人間のありようが、美しいと思った。 見とれているうちにも、団子状態だった集団から飛び出してくる者がいる。 ココア色の髪、胡桃色の瞳。 いつもの満ち足りたようにだらけきったあいつからは想像もできない精悍な顔付きで、 ただゴールのみを見据えていた。 みるみるうちに二位以下を引き離して、日下部みさおはトップでゴールテープを切った。 「やったな! 決勝進出おめでとう!」 「おう! あんがとなひいらぎぃー」 「ふふ、でもまだあんまり褒めないであげてね。これからが本番なのに、みさちゃん気を 抜いちゃったら大変」 「あー、そっか。さすがマネージャーはよくわかってるわね」 「へ? 別にあやのは陸上部のマネージャーじゃねぇぞ?」 「誰も陸上部のマネージャーなんて云ってないだろ。あんた専属のマネージャーって意味だ」 呆れたように私が云うと、日下部は我が意を得たりと目を輝かせて云った。 「ああ、そっかもな。いっつも栄養とかマッサージとかうるせぇんだあやの」 「うるせぇんだ、じゃないでしょ。本当は自分で管理しないと駄目なんだよ。放っとくと みさちゃんお肉ばっかだし、家帰って身体もほぐさないですぐ寝ちゃうから、私が仕方なく 口出してるんじゃない」 「……な?」 「な? じゃないだろ。なんで得意気なんだよ。ちゃんと感謝しろよ」 まったくこいつは昔から変わらない。私が呆れたようにため息を吐くと、日下部は憮然とした 表情で口を尖らせた。 もう十月が始まろうかという時期だった。 少しづつ暑さも和らいで、涼しく肌を撫でる風に、心地よさと夏の終わりを感じるこんな季節、 千葉県の陸上競技場に私たちはいた。国体へ出場する日下部の応援だった。 今年の国体は千葉開催で、ちょっと脚を伸ばすだけでこれるところだったから、峰岸に 誘われた私は一も二もなくうなずいた。日々机に齧りついてひたすら知識を頭につめこむ 受験勉強に飽き気味だったので、気分転換にちょうどいいと思ったのだ。 日下部が、三年生が出場するには微妙な時期の国体に参加したのには訳がある。夏の インターハイで六位入賞を果たした日下部には、大学からのスカウトがあったのだ。けれど、 着々と記録を伸ばしていたとは云え、高校から陸上を始めた日下部は、まだ全国で余り名を 残していなかった。だから、インターハイでの成績がフロックではないことを証明する必要があり、 その場がこの国体なのだ。 条件としてはあまり良いとは云えないだろう。 受験で入ろうとするなら、少しでも早く勉強を始めないといけない。だから三年生が秋の 大会に出るのはそれだけで冒険だ。もし良い成績を残せなくて推薦入学がとれなかったら、 大きく遠回りをすることになってしまう。それに、日下部に課せられた条件はただ決勝に 進出すればいいというものではなく、メダルを取れというものだった。 厳しいと思う。 そう思うのだけれど、きっと日下部は悩む暇もなく即答したのだろう。それは、この話を 私に告げたときの峰岸の苦笑からも伺いしれた。 それを、素直に羨ましいと思った。 そんな風に簡単に、自分の未来のことを決められる日下部が。それを笑って受け入れて、 なお献身的に面倒を見られる峰岸が。そんな二人の関係が、少しだけ羨ましかった。 「――それにしても」 「ふみゅ?」 私のつぶやきに、幸せそうにイチゴホイップのサンドイッチにぱくついていた日下部が、 不思議そうな目でこちらを見る。 「その専属栄養士が、試合前にこんなに選手に食べさせていいのか?」 峰岸の持参したバスケットには、サンドイッチがぎっしり詰められていた。具もさまざまで、 ハムサンドやらカツサンドやらの重いものから、デザート系のピーナッツクリームやら イチゴホイップやら盛りだくさんだった。 「あ、いいのいいの。みさちゃん鉄の胃袋だから。おなかいっぱいになれないと機嫌悪いんだ」 「ほふ、ふみゃほんはふほうはえ!」 「飲み込んでからしゃべれよ!」 ――本当にもう、なんで私の周りはこんな奴ばっかなんだ。 ふと、青い髪がちらつく。 いつでも頭から離れない、私の“こんな奴” 無軌道なネズミ花火みたいにはね回って、片時も目を離せないあいつ。 一日会えないだけで、ふと思い出すだけで、今でもこんなに切なくなる、私の大切なあいつ。 「――らぎぃ?」 日下部の声に、どこかあっちの世界に飛びかけていた私の意識が戻ってくる。 「あ、ごめん、ぼーっとしてた、なんだ?」 「いや、あのさ……今日は来てくれてあんがとな?」 珍しく神妙な顔をして殊勝なことを云う日下部だった。 「な、なんだよ急に……」 急にそんなことを云われるとは思わなくて、妙に照れくさかった。 「や、ひいらぎってあんま私の試合とか見に来てくんなかったしなぁ。正直こんな時期に来て くれるなんて思わなかったぜ」 「……う、まあ、ね。その、あんたとは長い付き合いなのに、なんかさ。妙に仲良くなる 切っ掛けが掴めなかったっていうか、その……」 「おお?」 「柊ちゃん?」 峰岸まできょとんとした顔で私をみつめている。五年来の友人にそんな目で見られる自分が、 なんだか情けなくなってきた。私ってそんなに薄情なことばかりしてきたのだろうか。ふと不安に なって、今まで自分がしてきたことを思い出してみる。 体力測定のとき、途中で峰岸と日下部をほっぽってこなたとつかさと話してた。 昼休みはほとんどこなたとつかさがいる教室で過ごしていた。 合同授業があると大抵B組に混ざっていた。 修学旅行、自由行動はずっとこなたの班だった。 ――してきたな。 あらためて思い返すに、冷や汗が出る思いだった。 「あのさ?」 「うん?」 なんだか真剣な表情をして、日下部が問いかける。 ――こいつも、スポーツをしているとき以外でもこんな真剣な表情ができるんだ。初めて見た その大人びた表情に、少しだけ戸惑った。 変わってない変わってないと思っていても、こいつも、峰岸も、私も、もうあの頃とは違うんだ。 改めてそれに気づく。 「柊たち、なんかあった?」 「みさちゃん!」 慌てたように云う峰岸の様子からすると、以前から二人の間で話題にのぼっていたことなのだろう。 「……私たち、って?」 「とぼけんなよ、ちびっこと愉快な仲間達のことだろ。夏休み明けから、なんかちょっと違う感じするぜ? でもなんか、喧嘩してるって感じでもないんだよな」 ああ、ばればれなんだな。 小さく笑う。 風が吹いて私の髪を揺らした。 「何も、ないよ」 そう、何もない。私たちの間で、何事もおきなかった。 ただ、ちょっと。 ただ少し、みんなが大人になっただけ。 「――ふーん? そっかぁ」 ぱんぱんとパン屑を振り払って、日下部は立ち上がる。 腕を頭の上で組んで、大きく伸びをした。 「ま、いいけどよ。お前らのことだかんな。ただちょっと気になってさ」 背中を向けて、晴れ上がった青空を見上げながら日下部が云う。 その後ろで、峰岸が私に笑いかけていた。ごめんとか、困ったとか、でも少し寂しいとか。 峰岸の笑顔にはいつも色んな意味があって、そんな表情一つで奥ゆかしく他人に感情を 伝えようとする峰岸が、私は昔から好きだった。 日下部だってそうだ。前向きで、一生懸命で、大らかで。中学時代も、女だてらに野球部を ひっぱっている日下部を見ていて、ガリ勉だった私はいつでも眩しく感じていた。 「そろそろ時間かな?」 「んあ、そだな。んじゃ行ってくるわ」 私に背中を向けたまま手を振って、日下部はトラックに向かおうとする。 これでいいのだろうか。いや、よくないと思う。これではなんのためにここまで応援に きたのかよくわからない。云えなかった言葉を伝えるのは、今しかないと思った。 だから私はその背中に向けて声をかけた。 「あ、あのさ!」 「ん?」 首だけを回して、ちらりと私をみる日下部に云った。 「その、がんばれよ……み、みさお!」 これは予想外に恥ずかしい。五年来つきあってきて今更呼び方を変えることがこんなに 恥ずかしいとは思わなかった。いや、きっとこんなことで顔を赤らめるなんて、自意識過剰な 私くらいなんだろう。他の人はもっと自然で素直に呼び合えるに違いない。 みさおは、驚いたように目を丸くしたあと、お陽様みたいに笑って云った。 「おう、あんがとな、かがみ!」 ――みさおは、二位でゴールテープを切った。 お祝いを云おうとして控え室に行った私は、そこで異様な光景を目にすることになった。 身も張り裂けんばかりに泣きじゃくるみさお。奥のベンチに横たわって、何も目に入らない 様子で号泣している。 部員もマネージャーも、すでに慣れている風で遠巻きに様子をうかがっているだけだった。 「かがみちゃん」 その専属マネージャーであるところのあやのが、私に気づいて声をかけてくる。 「ど、どうしたのよみさお。怪我でもしたのか?」 「ううん、みさちゃんいつもああなんだ。負けたときはね」 「……負けた?」 あやののその言葉に、私は驚いた。 そうか、みさおは負けたのか。 国体で二位。見事大学推薦を獲得。 私は、勝ちだと思った。だからお祝いの言葉を用意してこの部屋に入ってきたのだけれど。 でも、一位以外は全て負けなのだ。 少なくともみさおにとっては。 私はそこで、スポーツの世界のシビアな現実を思い知った。 トップ中のトップ以外は常に負けの世界。個性とか役職とか技能とか、そんなものは全て 無意味になる世界。一番早いとか、一番強いとか、一番上手いとか、そんな人以外は全て 負けになる。そういう世界で、アスリートは生きているのだ。 ただその身体一つで、ただその最小の自分である肉体のみでこの世界と渡り合って。 みさおが飛び込んだのは、そんな海なのだ。 茫漠として、行き先も知れず、島影も他の船も見あたらない。 天と海、二つの青に挟まれて、ただ水平線のみが見える海。 そんな海を、みさおはその身体一つで泳ぎきろうというのだ。 強い。 全身全霊を篭めて泣きじゃくるみさおを見て、そう思った。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 4 s e a s o n s 秋 / 静 か の 海 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― §1 黄昏時の陽射しはひたすらにオレンジ色で、真横から差し込むその光に青い影がどこまでも 長く伸びていた。 駿台模試の帰り道、ポプラ並木を私たちは歩いていた。菱形をした枯れ葉が風が吹く度 舞い落ちて、髪に肩に降り掛かる。 地面に落ちた私たちの影が、何かの奇怪な生物のように動き回っている。それを作って いるのが私たちのこんなに小さな身体だなんて、なんだか信じられない。私たちの小さな 動き一つで、風に髪の毛がなびくだけで、影たちはまるでそこに深い意味があるかのように 秘密の舞踏を踊るのだ。 十月は黄昏の国。 そんなフレーズが突然頭の中に蘇る。 これはなんの言葉だったっけ? 詩かなにかだろうか。 少しだけ考えて思い至る。たしかお父さんの蔵書にあった本のタイトルだ。SFの棚にあった ものだけれど、そのSFっぽくないタイトルが不思議と気になっていた。 「まあ、日下部さん、そんなに悔しがっていらしたんですか」 「うん。まあ、次の日からは得意顔で自慢しまくってたけどな。なんか、スポーツ選手とかって 華やかに見えるけど、やっぱり凄い辛い世界なんだなぁって思ったわけよ」 「そうですね。きっとどんな人生を選んでも、それなりに辛いことが待っているのでしょうね」 みゆきのそんな言葉に、思わず笑みがこぼれてしまった。 まるで私に云い聞かせているように聞こえたからだ。 みゆきはそんな風に遠回しに匂わすようなことは云わないから、きっと私の自意識過剰 なんだと思うけど。 そんなことを考えていたとき、後ろから伸びた手がしゅるりと私のリボンをほどいていった。 「あ、こら! なにすんだよ!」 途端にばさりと肩におち、夕暮れの風に踊り出した髪の毛を抑えながら、こなたに怒鳴り つける。 「へっへー、かがみんの萌え要素もーらい!」 「はあ?」 首を傾げて問いかける私の前で、こなたはいそいそとその長髪をツインテールに結んでいく。 みると、頭の上でちょこんとつかさのリボンが結ばれている。 「こなちゃん、まってよー」 こなたと後ろを歩いていたはずのつかさが、慌てておいかけてくる。どうやらつかさも トレードマークのリボンを奪われているようだった。 「いや、ね、みんなのトレードマークな萌え要素を一人に集めたら凄いかなって思ったのだよ」 「思うなよ、ってか変だろそれ」 頭の上にリボン。その両脇にもリボン。やたらとリボンが結ばれたその髪型は、なんだか 冠でも被っているように見える。なんというか“弥生時代の巫女の想像図”みたいな感じに なっていた。 「や、でもまだ完成じゃないから。ってわけで失礼、みゆき!」 「はうっ。こなたさん何するんですかー」 あたふたとしているみゆきに襲いかかって、その眼鏡を強奪するこなただった。 「……おい、完成したら余計に変だろ」 私の突っ込みを無視して、“ぢゅわっ”なんて掛け声を発しながら、こなたは眼鏡を掛ける。 「お、おおおお? こ、これは、世界が回る~」 度の強い眼鏡に目を回してふらふらと踊り出したこなたが面白くて、お腹を抱えて笑った。 同じように爆笑しているつかさの横で、みゆきが「なにも見えません~」と寂しそうに呟いた。 そんな私たちの影は、複雑にもつれ合いながら奇妙な紋様を描き出していて、楽しそうに 笑う女子高生たちとは似ても似つかないものだった。 ――私たちは、いつのまにか随分嘘が上手くなった。 恋心をどこまでも隠して、私は上手く笑えるようになった。 劣情を何重にも覆って、気軽に触れあえるようになった。 その度に心のどこかが張り裂けそうになるけれど、そんな痛みこそ自分が自分である証なの だと、そう思えるようになった。 それはきっとみゆきもつかさも、そして多分こなただってそうなのだ。 つかさもみゆきも、私がこなたのことを好きだと云うことを知っていて、それをおくびにも 出さずに振る舞った。 知っていることを知られているとわかっていてなお、何も知らないふりをして。 それは小さな小さな嘘だった。そして、みんながそんな嘘を抱えながら、笑い合っている のだ。作り物めいた、本心を隠した、ごまかしで云った言葉と知りながら、それでもそれを伝え合う ことで嬉しくなり、暖かくなり、心から笑い合うことができる。 それがきっと、大人になるということなのだと思う。 なんの隠し事もなく、開けっぴろげな心で触れあえたらそれはきっと素敵なことなのだろう けれど。きっと人間は生きていくうちに色々なしがらみを得て、譲れない思いを抱いて、密やかな 秘密を抱えて、そうして一人一人違っていくものだろうから。だからそう、誰にも話せないこと、 誰にもみせられない部分を持ちながらそれでも親友であり続けることは、特別珍しいことでも ないのだろう。 そう、私たちにはただそれが急に訪れたというだけのこと。 あの夏が過ぎて。 私たちは、否応なく大人になってしまったのだ。 私だけじゃない。皆が皆、少しずつ変わっていってしまった。 つかさは、随分と綺麗になった。 その表情や佇まいや、まなざしが。時々見知らぬ人に見えてはっとすることがある。優しい 部分や穏やかなところがなくなったわけじゃない。でもその裏に何か一本通った芯の強さが 伺えるようになって、つかさは一人で輝きだした。 そんなつかさを見るにつけ、妹を守っているつもりだった今までの私は、なんて見当違いを していたのだろうかと自嘲する。守っているつもりが、ずっとそれを支えにしていたのは自分の 方だったのだ。今、私という覆いを外されて、つかさは眩しいくらいに輝いている。 羽化した蝶のように、雲間から差し込む太陽のように。 そんなつかさを見る度に、誇らしい思いで一杯になる。 きっとこの優しさは、子供の頃に手折られていたら簡単に失われていたものだと思うのだ。 そういう意味では私が護ってきたことは無駄ではなかったはずだと思いたい。 だから私は、つかさのことを誇らしく思い、そして自慢にも思うのだ。 これが私の妹なんだと。この綺麗で優しい生き物が、私の妹なのだと、全世界に吹聴した くなるほどに。 みゆきは、より冴え渡った知性を発揮するようになった。 それはきっとそう、あの日私にくれた言葉と関係しているのだろう。 あの日、誕生日パーティの日、“何があっても私の味方だ”と云ってくれたみゆき。 みゆきはその約束を違えなかった。こなたと話していて、口ごもったり、対応に困って うろたえたり、何気ない一言に心をえぐられてしまっても、みゆきはそんな間隙をすかさず 捕らえて、自然な流れになるように、私が問題なく言葉を返せるように適切なフォローを してくれるのだ。 その頭の回転の速さと気遣いに、舌を巻く思いだった。 ――思えば少し不思議だったことがある。 あの夏の日、こなたと喧嘩別れみたいになって、私が熱を出して寝込んだ頃のこと。 あの日こなたの方から私の部屋にきてくれたことが、私にはなんだか不思議だった。 あんな風な行き違いがあったとき、こなたはきっと押しつぶされるように自閉するだろうと 思っていた。誰よりも寂しがりやのこなたは、殊更に他人からの拒絶に弱い。それは普段の ひょうひょうとした態度からは伺い知れないことだけれど、ずっと見てきた私にとって それは自明なのだ。 だから、自分の方からアクションをしてきたあの日のこなたの行動は、私の中ではありえない ものだった。 それに、後日私がこなたの家に行ったときも、随分スムーズに私の謝罪を受け入れてくれた ものだと思っていた。 今になって思えば、そのどちらにもみゆきが絡んでいたのだろう。 あの日、私のケータイに掛けて異変を察知したつかさは、みゆきに相談したらしい。その後の 行動も、すべてみゆきの意志が働いていたようなのだ。 おそらく、こなたと一緒に私がでかけたと聞いて、みゆきは私たちの間に何がおきたのか、 すぐにわかったのだと思う。 だから、その後色々とあってなるようになったのも、全部みゆきの掌の上にある。もっとも、 さすがに私がお見舞いにきたこなたを追い返すとは思っていなかっただろうけれど。 そのときにみゆきとこなたの間でどんな話があったのか、私は知らない。それは聞いても 仕方がないことでもあるし、また聞かないほうがいいことでもあるのだろう。 ただ、こなたとみゆきは、いつのまにか名前で呼び合うようになっていた。泉さんとみゆきさん ではなく、こなたさんとみゆき、と。それは夏に二人の間であった色々なことを想像させるに 十分な出来事だろう。 人は、きっとそうやって変わっていく。 漫画やアニメのキャラクターではなく、生身の人間なのだから。 永遠に変わらない関係なんてありえないから、だから私たちは否応なく変わっていくのだ。 ふらふらとしていたこなたの向こうから、自転車がやってきているのに気がついた。 「ほら、あぶないだろ」 そう云って脇によって手をひくと、足がひっかかったのか、こなたは私の胸の中にしなだれ かかってくる。 肌寒くなってきた季節に、その体温が暖かい。 ただの熱量のはずなのに、こなたの身体が暖めた空気だと思うとなぜか嬉しくなるから 不思議だ。 ふわりと漂ってくるこなたの匂いが鼻腔をくすぐった。 ――何やってんだ、私は。 通り過ぎていく自転車に頭を下げながら、いつこの胸の高鳴りが気づかれてしまうかと、 気が気じゃなかった。 やぶ蛇というかなんというか、大口開けて待ちかまえてる虎の前に自分で飛び込んでいった ようなものじゃないか。 自分に呆れながらため息をついて、こなたの眼鏡をひょいと取り上げる。 「はしゃぐのはいいけど、ちゃんと周りのことみとけよ、あんたは」 「……ご、ごめん。てかあんがと」 つかさと一緒に脇によっていたみゆきに眼鏡を渡して、ついでにリボンも取り返して結び 直そうとする。 風に暴れる髪を纏めるのに手間取った。 「ちぇー。あ、じゃさ、かがみとつかさでリボン交換してみようよ。なのフェイみたいに」 「なんだよなのフェイって」 「なのは無印の最終回で、なのはとフェイトちゃんがリボンを交換した」 「しらんわ」 「うー、かがみが冷たい……」 これみよがしに落ち込んで見せるこなただった。 こなた。 こいつも、ちょっとだけ変わった。 普段はこんなだけれど、ちゃんと自分一人で計画を立てて勉強をするようになっていた。 『一応やるだけやってみようと思うんだ。後々後悔するのやだしね』 そう云ったこなたを覚えている。 MARCH辺りを狙いにしているようだったけれど、一体どれだけ伸びるのか、それが少し だけ楽しみだ。頭の回転は早いし、テスト範囲を一夜漬けで覚えきれるくらいの要領の良さは あるし、なによりうちの学校に入れるのだから、元々やればできるはずなのだ。 こなたはバイトも辞めた。固定客もついていたようだし、フロアもバックもばりばりこなして かなり頼られていたようだから、色々と大変そうだった。結局、受験期間の間だけ休業して、 落ち着いたらまた戻るかもしれない、ということだ。 こなたが誰かに頼られていることを知るのは少しだけ嬉しく思うのだけれど、無邪気に男に 愛想を振りまいているこなたを想像すると、胸からどす黒い塊がせり上がってくるのを感じて しまう。だから、できれば戻らないでいてくれたらと思うのだけれど、そんなことを云えるはずも なくて、結局私はそんな願望も、鎧った恋心の隣にそっと埋葬するのだった。 鋼鉄の板と鎖で何重にも閉ざされたその秘密の小部屋は、今や沢山の小物でいっぱいだ。 「――かがみ?」 「……ん、あ、ごめん。なに?」 少しだけぼーっとしていたところに声を掛けられて、意識が覚醒する。 「や、みゆきとつかさ、いっちゃうよ?」 みればいつのまにかこなたと二人になっていて、つかさたちは先に歩きだしていた。 「ああ、悪い」 駆けだしたこなたに追いつこうと、私も小走りになっておいかける。 オレンジ色の夕陽はもう沈みかけていて、遠くを歩くつかさとみゆきの顔は、宵闇に染まって よく見えない。 急に襲ってきた得も云われぬ寂しさに、ぎゅっと胸が締めつけられるのを感じていた。 私はせめて目の前の背中から離れないように、それだけは見失わないようにと必死で みつめていた。 ふと、ひるがえったこなたの髪がさーっと横になびいて、視界を青く染め上げた。 それは、まるで、海みたいだった。 ――私たちの関係も、海みたいだな。 そんなことを考える。 一見凪いでいるようにみえる。けれどその底では複雑な海流が渦巻いていて、海上からは それを伺い知ることもできない。それを見るため潜ろうとすると、たちまち冷たさに凍えて 二度と再び浮き上がれない。 茫漠として、先も宛もなく、ただ青く。一度そこに漕ぎ出してしまえば、海流にのって どこに辿り着くのかもわからない。 凪いで、静寂だけが満たされた。 そこはまるで、静かの海のようだと、そのときふと思った。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 『4seasons』 秋/静かの海(第二話)へ続く コメントフォーム 名前 コメント この人神だよ!!尊敬の域を超えて崇め奉るよ!! -- 名無しさん (2008-05-31 19 12 48) 物語が進むにつれて心の成長するキャラクター達の描写がとても丁寧で美しくでも、どこか切なくて“少し大人になっただけ”このフレーズが胸に突き刺ささりました。 -- 名無しさん (2008-03-31 05 58 18) あれ、神がいる -- 名無しさん (2008-03-12 00 59 04) 同意。まさに神ですね。崇めざるをえないでしょ。 俺も出来るならば神様みたいな文章書けるように なりたい!! だからね、日々精進です。 -- 名無しさん (2008-02-16 01 00 33) 俺もさ、思うんだよ。この人神でしょ?それは認めるしかないんだよ、うん。 もうさ、同じSS書きとしてこの人の神すぎる作品見ると作品の内容が鬱じゃなくても鬱になりますって。 主に嫉妬で。だからね、思ったわけよ、俺も崇拝するわ。 -- 名無しさん (2008-02-12 02 53 48) うん。 -- 名無しさん (2008-02-11 22 42 46) もうね、あれだよね、この人さ神でしょ? 俺さ、崇めても良いよね? だって神じゃん? 崇拝するよ? うん。 -- 名無しさん (2008-02-11 14 45 21) 小説でかなり上の質 ジャンル問わず今まで読んでたネット小説では一番の出来と言わざるをえない。綺麗な文章だ、うん。 -- 名無しさん (2008-02-11 02 02 41)
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『4seasons』 秋/静かの海(第二話)より続く ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― §4 どうしてこんなことになったのだろう。 窓際の席に座って、今日何度目か知らないその言葉を頭のなかで呟いた。 「どったのかがみん? もしかして怖い?」 「そんなわけないでしょ」 「ん~、ほんとかな? ほんとかな? 内緒にしとくから、云っちゃっていいんだよ? んん~?」 「だー、だから違うって。もう、突っつくなよ!」 「ほれほれ、北斗ひゃくれつけん~」 「ちょっ、ぁん、ってこら! 変なところ触るな!」 「うわ、かがみ今の声いろっぽっ! お父さんには聞かせらんないね」 「……よいものを聞かせていただきました」 その声に振り向くと、しっかりと聞いていたそうじろうさんが後ろの席で合掌をしていた。 ――どうしてこんなことになったのだろう。 熱く火照った顔を、隠すように窓に向けながらそう思う。風景に二重写しになって、 窓ガラスにこなたのニヤニヤ顔が浮かんでいた。私は、そんなこなたをこっそりと盗み見る。 まるでレアカードを一発で引き当てたときみたいな喜色満面の笑みを浮かべているこなたは、 朝からずっとハイテンションで、なにかと云ってはやたらとスキンシップを図ってきた。そんな こなたのことを、今日はずっと持て余していた。 視線のフレームを外に向けると、ここからは空港の様子がよく見える。旅客ターミナルの 広いスペースには用途のよくわからない作業車が並んでいた。そこから伸びる滑走路は そのまま海に続いているようにも見えて、本当にこの先が空に通じているのかと怪しくも思えた。 飛行機に乗るのは、初めての経験だった。 こなたにはああ云ったけれど、やはり少しだけ怖かった。 機内アナウンスがあり、私たちがそれぞれシートベルトを閉めると、機体はゆっくりと動き出した。 ぐんぐんとスピードを増しながら滑走路を突き進んでいく様子が、機首に近いこの席からは よく見える。やがて機体を支える揚力を翼の下に得た飛行機は、ふわりと中空に浮き上がる。 どうして、こんなことになったのだろう。 眼下に鈍色にくすんだ晩秋の海を眺めながら、そう思う。 日本航空1279便ボーイング777-200は、そんな思いを乗せたまま、小松空港へむけて一路 羽田を飛び立った。 きっかけというか発端というか、全てを決めたのは一昨日の電話だった。そう、ほんの つい一昨日の、しかも夜のことだった。 このところのお風呂はつい長めになってしまう。勉強で寝不足気味な最近、湯船で暖まって いるとどうしてもうとうととしてしまうから。よくないことだとは思っているけれど、どうしようもなかった。 そんな長風呂から出て髪も乾かしたあと、居間でほこほことくつろいでいたときだった。 着替えを抱えてお風呂場に向かうつかさを横目で見ながら、なんとなくテレビ番組を聞いていた そのとき、二階から私の着メロが流れてきたのだ。 この着メロはこなたかみゆきだ。どちらにしてもすぐに声を聞きたい人だった。ばたばたと小走りに 階段を上がり、ドアを開けてケータイを取ると、こなただった。 そして何気なく電話に出た私に、こなたは唐突に云ったのだ。 「かがみ。週末なんだけど……海を見たくはないかい?」 「――は?」 「週末なんだけど、海を見たくはないかい?」 「いや、聞こえてるわよ。今の“は?”は、“もう一度言い直せ”じゃなくて、“何云ってんだこいつ” って意味だ」 「いや、それがね、聞いとくれよ。色々と長い話があってね?」 それは確かに長い話だった。長くて、深くて、そして哀しい話。最初に電話をとったときの ふざけた云い方は、こなたなりの気遣いだったのだろう。 ――命日。とのことだった。 11月23日は、かなたさんが亡くなった日なのだそうだ。 それは誰が悪いわけでもなく、ただどこにでもある悲劇だった。 誰もが“なんで私がこんな目に”と神を呪い、世界を罵って泣き崩れるような、けれど今も 当たり前のように誰かの身に降り掛かっている、そんな哀しい出来事の話。 かなたさんが妊娠高血圧症候群に罹っていると診断されたのは、妊娠八ヶ月が過ぎた頃 だった。元々免疫系に疾患を抱えていたというかなたさんだったから、主治医にとっても そうじろうさんにとっても、もちろんかたなさんにとっても、それは最も恐れていた事態だっただろう。 急速に進行するめまい、溶血、血小板の減少、腎障害、肝障害。決断というのもおこがましいほど 速やかに選択された帝王切開による妊娠の早期終了。 未熟児として産まれたこなたは健やかに育っていったが、一度下がった腎機能と肝機能は二度と 回復することはなかった。 出産から半年が過ぎて、かたなさんは短い生涯を終えた。 11月23日のことだった。 「ありがとう」 涙ぐむ私にこなたが云った。 「……なにがよ」 「ん? 泣いてくれてありがとう」 「な、泣いてなんかないっ!」 「あは、そっか、ごめんごめん。じゃ、鼻啜ってるのは風邪かな? だめだよ気をつけないとー。 またお風呂上がりに薄着のままだらだらしてたんでしょ?」 「するか! ってかそれあんたのことだろ!」 あの顔が見えるようだった。目を細めて満ち足りた様子で微笑む、私が一番好きな顔。 話を切り替えたかったのかな、と思う。適当にいつものやりとりをしているうちに、さっきまでの 湿っぽい空気はどこかに行ってしまった。聞かされた私にとってそれは重い話だったけれど、 こなたにとってはある程度割り切れていることなのだろう。そうでなければ今まで生きて こられなかっただろうから。 毎年この時期、泉家の実家に眠るかたなさんのお墓参りに、金澤まで戻っているのだそうだ。 去年の今頃もそうだったはずだけれど、そのことを聞かされた覚えはなかった。 ふと気づく。去年の今頃は、私とつかさが初めてこなたの家にいった頃だ。こなたのアルバムを 漁って、そこに写ったこなたそっくりのかなたさんに驚いて、あれこれと訊いたあの頃。 お墓参りの後だったのかな、前だったのかな。 こなたはどんな思いであの会話をしていたのだろう。 それを思うと、引いた涙が少しだけ戻ってきた。 「――かがみ? 聞いてる?」 「ん、ちゃんと聞いてるよ」 去年までは二人でいっていたけれど、今年はゆたかちゃんがいる。かなたさんはゆたかちゃんに とっても伯母であるし、一人で残していく理由もあまりないしということで、三人で行く予定だった そうだけれど。 今日になって、ゆたかちゃんが風邪で熱を出してしまった、と。そういうことらしかった。 どうしても今週じゃないといけないというわけでもないから、来週にしようかという話もでたよう だったけれど、ゆたかちゃんは頑として聞き入れなかったらしい。居候の身ということもあって、 ゆたかちゃんも自分の身体のことについて色々と思うところもあるのだろう。そのプライドは 好ましく思えるものだった。 家に残されたゆたかちゃんのことは、みなみちゃんが泊まりで来てくれるそうだから心配はない としても、どちらにしても一人分のチケットが余る。 時期的に予約じゃなくてもう買ってしまっていたし、宿も予約が入っているしで、やっぱり少し 勿体ないねという話をしていたところ、“じゃあ誰か他の人誘おうか”と。 「そ、それでなんで私?」 嬉しいけど。それは凄く嬉しいけど。他に誘うのだったらそれこそ血縁のゆいさんとか、 名前は忘れたけれど、そのお母さんとかがいるように思えた。 「や、でもゆい姉さんは…………。あ、ほら、ゆーちゃんのことみてもらわないとだし」 ――今の間は。 今の間は、なんだ。 確かにこなたの云うように、ゆいさんなら真っ先にゆたかちゃんの心配をするだろう。 みなみちゃんだって、あまり知らない家で一人きりでは困るだろうし。それは誰もが納得する ゆいさんが行かない理由だ。では、こなたは最初何を云おうとしたのか。 それが少しだけ気になったけれど、詮索するのはやめにした。こなたが隠したなら隠したなりの 理由があるのだろうし、今の私には、こなたとそのお母さんのことを考えることですでに手一杯なのだ。 「で、ゆきおばさんは……。まあ、色々あってね? それにほら、みんなお盆には帰ってるしね」 「そ、そっか」 なんだか色々とやぶ蛇だったようだ。 人が生きていくうちには色々と軋轢もあるのだろう。たとえ親族であっても。いや、きっと 親族だからこそ生まれる確執もあるのだ。 「――で。ど、どかな?」 改めて問いかけてくるこなたの言葉に、改めて悩んだ。 どうしよう。 どうしたらいいのだろう。 本来真っ先に考慮しないといけないはずの、受験勉強の山場であるこんな時期に休日を 潰していいのかという考えは、思い浮かびもしなかった。大体休日の一日や二日潰れたぐらいで 受験失敗するような学力なら、そもそもそんな学校に入学する資格なんてないのだ。 それよりなにより、友達の家族というかルーツというか、そういう深い部分の話だったから。 慶応じゃなくても法律の勉強はできるけど、その友達は一人しかいない。たとえばこれが こなたじゃなくて、みゆきやあやのやみさおだったとしても、受験勉強と天秤にかけるようなことは 考えなかっただろう。 悩んでいるのはその部分ではなくて。 ――こなたと同じ部屋に泊って、私は大丈夫なのかという。 そんな、聞きようによっては喜劇としか思えないようなことを、私は真剣に悩んでいる のだった。 こなたと触れあうだけで反射的に感じてしまう劣情を抑えこむことには慣れてきた。けれどそれは、 ただ切なさに張り裂けそうになる痛みを抱えながら、なんでもないような振りをすることに慣れただけ。 決して痛みを感じなくなったわけじゃない。 そんな私がこなたの香りに包まれて、こなたと同じ部屋でたった二人過ごして、こなたと枕を並べて 寝て、こなたの寝顔をのぞき込んで、平静でいられるはずもない。事実、何もそうする必要もないのに、 妄想の中ではのぞき込んでしまっている。 虎穴に入らずんば虎児を得ずとは云うけれど、私は何も虎児が欲しいわけではないのだ。 うかつに虎穴に入り込んだせいで、何十匹もの虎児に甘えてすり寄られてはたまったものではない。 つい、虎の格好をしたちびこなたが大量にすりよってくる光景を想像した私は、お風呂上がりで 脳までのぼせていたに違いなかった。 「かがみ? 呼吸荒いけど……本当に風邪とかじゃないよね?」 「ち、ちちち違うわよ!」 「ならいいけど……変なかがみ?」 全く否定はできなかった。 「うん、でも、まあ……行かせてもらおうかな」 悩んだ末に、結局そう云った。 いくら迷っても、結局のところ最後には最初にぴんときた選択を取る物だ。私が最初に感じたことは “あ、行きたい”というものだったから、どうせ私は行くのだろうと思ったのだった。 ならばその間の悩みは全く無意味なものなのかと云えばそうとも云えなくて、現状を追認するのに 必要なステップなのだとも思う。 こなたのことを、もっと知りたいと思った。 今のこなたも、昔のこなたも、産まれる前のこなたですらも。 泉家の実家には、きっとそんなこなたの痕跡が沢山あるはずだ。しかも、こなたの方からそれを 知って欲しいと招待してくれたのだから。なにはなくとも、それが一番嬉しかった。 「ほ、ほんとー!! やったー!! ありがとうかがみ様!」 その手放しの喜びように、つい私も嬉しくなってしまった。 考えてみれば別に私がいかなくても運賃が一人分無駄になるだけで、なんのデメリットもない。 それどころかチケットや宿代以外の分では負担になるわけだから、いったところでメリットも ないのだ。だから、これは純粋に私に来て欲しいと云っているようなものだと。そう理解できたから。 「じゃ、土曜の12時40分に動物公園の改札でよろー!」 「あいよー……って、土曜? あれ? え? 今週末だっけ?」 「うん」 「……って、明後日じゃん!」 「日付回ったから明日だね」 「ちょっ、マジかっ! か、考えさせて!」 「だが断る」 「えー!」 「この泉こなたが最も好きな事のひとつは、柊かがみが慌てふためくさまをみて楽しむことだッ!」 「ネタがわかんねぇよ!」 ――結局、押し切られてしまった。 ケータイを切りながら、おかしいな、どうしてこんなことになったのだろうと呟いた。そしてその 言葉は、その後何度となく頭に思い浮かぶことになるのだった。 とりあえずつかさに相談しよう。 お風呂も上がって、もう部屋に戻っているはずだった。ちょっと前に階段を上ってくる音が していた。 声をかけてから部屋に入ると、つかさはすでに机に向かっていた。時間を惜しむように 髪の毛は濡れっぱなしのままで、肩掛けと膝掛けで身体を冷やさないようにしている。 半年くらい前なら、この時間帯ならもう寝る寸前だったはずだけれど、さすがにこのところは 遅くまで起きて頑張っている。元々は調理師志望だったつかさだけれど、専門学校ならいつでも 入れるからと、とりあえず大学にいって栄養学を学ぼうと決めたのだった。誰の手助けもなく、 ただ自分の意志で、そう決めたのだ。 「つかさ、頑張ってるのはいいけど、髪の毛濡れっぱなしじゃない。もう寒いんだから、風邪 引いちゃうよ」 「あ、うん、えっと、えへへ」 飲み込んだ言葉はきっと、“音でお姉ちゃんの気をちらさないように”というものだっただろう。 ごうごうと音の出るドライヤーをつかさの髪に当てながら、ふとそれに気がついた。 私の髪より細くてこしがあって柔らかい。 そんなつかさの髪に触るのは好きだ。 卓上の鏡をみると、つかさも気持ちよさそうに目を閉じている。 どれだけ忙しくても、どれだけ焦っていても、こんな時間を大切にしたいと思った。 「ありがとう。あ、何か用事あったんじゃなかったの?」 「あ、そうなのよ。ちょっと聞いてよ」 こなたの実家に一緒についていくと報告したら、つかさは開口一番「だいじょうぶなの?」と 真剣な顔で訊いてきた。 「なにがよ」 「なにがって……その、色々……だよ」 なぜそこで顔を赤らめる、妹よ。 反駁しようと口を開いた途端、私の部屋でケータイが鳴りだした。 「ああ、ごめん」 そう云って部屋に戻ってケータイをみると、みゆきからだった。 「今こなたさんから伺ったのですが、かがみさん、だいじょうぶなのですか?」 出た途端、みゆきはつかさと同じことを云いだした。 「なにがよ」 「なにがと申しますと……その……色々と、はい……」 なぜそこで云い淀む、親友よ。 よっぽど信用がないのか、よっぽど心配されているのか。できれば後者だと思いたい。 これだけ心配されてしまうと、あまのじゃくな私としては、意地でも大過なく楽しんできてやろうと 思ってしまう。 ――それももしかしたら、二人にいいように乗せられているのかもしれなかったけれど。 §5 北陸本線美河駅から降り立てば、途端に潮の香りが漂ってくる。ああ、海辺の町なんだと思った。 電車に揺られていたときから日本海はちらちらと目に入っていたけれど、見るのと嗅ぐのでは 実感が段違いだった。 ざ、ざーと潮騒の音が聞こえる。 小松から五駅離れたこの美河町は、どこにでもある地方の町という様子の佇まいをしていて、 なんとなく鷹宮町とも似ていると思った。けれどきっとこの町が栄えているのは、傍らを流れる 手鳥川によってできた水利によるものなのだろう。川が日本海に注ぎこむ湾には小振りの漁港が できていて、今しも漁から帰ってきたとおぼしき漁船が、そっと港に滑り込んでくるところだった。 北陸本線の路線沿いには、延々と畑が広がっていた。地平線まで敷き詰められた畑の中、 ところどころに近代的な建売住宅の集落が現れる。そのありさまは、まるで海原にぽつぽつと浮かぶ 島のようにもみえた。 そしてこの町は、本物の海に囲まれてその波間に揺れている。 近代的な駅ビルも、綺麗ではあるけれど不思議と活気というものが感じられなくて、人はいるのに 閑散とした雰囲気を漂わせていた。はしゃぎながら切符を買っている子供達の笑い声も、鈍色の空に 吸い込まれてたちまち消えていく。寂れているというわけではなく、鄙びているというでもなく、ただ ひっそりとしている。そんな風に思った。 波間に浮かぶ箱船のような地方都市。 ここで、こなたの両親は大人になったのだ。 「寂しいところだよな」 そのそうじろうさんが笑いながら云った。 「いえ、そんなことないですよ。鷹宮や倖手とあまり変わらないと思います」 「うん、建物の数や街並だけみればそうだろうけど……人がな。息を潜めて身を寄せ合っている みたいだろう?」 その云い方にどきりとした。さっき感じたことをぴたりと言い当てられた気分だった。 「子供の頃は凄く厭だったな。ここがどんづまりな気がしてな。まるで今にも日本海に滑り落ちて 消えてしまいそうに思えた」 しみじみという小父さんは、かたなさんとのことでも思い出しているのだろうか、すっと遠い目をした。 潮騒の音が強くなったように思えた。 「かがみー! おとうさーん! なにしてんの、タクシーきたよー!」 タクシー乗り場で車を捕まえたこなたが、ぶんぶんと手を振り回しながら叫んでいる。 「おう、ごくろうさん」 途端に普段通りの優しげな顔にもどった小父さんについていって、タクシーに乗り込んだ。 私は当然後部座席で、勿論隣にはにこにこと笑ったこなたがちょこんと座っている。 こなたは、通り過ぎる街並のランドマークを一々説明しては、身を乗り出して指さしていった。 当然腕とか脚とか胸とかがちらほらと私に当たる。遠足に来た子供みたいに落ち着きがなかった。 どうして、こんなことになったのだろう。 必死に自制しながらそう思う。 タクシーのエンジン音がしているというのに。 なぜか潮騒が耳にこびりついて離れなかった。 少し町の中心から離れた丘の中程に建つ、四階建ての建物が今夜の宿だった。鉄筋コンクリートの きちんとした作りのビルで、前面がスモークのガラス張りになっている。建物の裏手の崖は、鬱蒼とした 雑木林が伸びるがまま放置されていて、その下はすでに海だった。 チェックインして入った部屋は、ビジネスホテルらしいシンプルな内装のダブルルームで、 ただ壁際に置かれた二つのベッドのみが存在感を主張していた。 「あ、ほら、みてよこの部屋」 「おお!」 こなたが壁にかかったカーテンを勢いよく引くと、途端に海が飛び込んできて驚いた。 壁の一面は大きな窓でしめられていて、視界の全てが海だった。窓際にたって下を見下ろせば 地面が視界に入るけれど、ベッドから眺めるとまるで海上に浮かんでいるように思える。 「こりゃ絶景だな」 「でしょー。いつもこの部屋とるんだよね。でも今年はお父さんだけ仲間はずれ」 隣のベッドに座り、脚をぶらぶらさせてニシシと笑う。 今日のこなたはずっとハイテンションなのだと思っていた。でも実はそうではないのだと、 そのとき私は気がついた。 ハイテンションなのではない。ただ子供っぽいのだ。 いつもの飄々とした態度はなりを潜めて、その中に隠されていた無邪気でやかましい、 子供のこなたが顔を出している。 それはもしかして、実家に戻ってきたからなのかもしれないと思った。ここではこなたは 泉家を支える主婦としてではなく、ただの孫や姪や従姉妹でいられるから。 普段のこなたは、きっと甘えようとしても誰にも甘えられずにいるに違いない。泉家は 長らく小父さんとこなたの二人だけだった。甘え合うのではなく支え合っていかなければ、 この世の中を渡っていけなかったのだろう。こなたがたまに際限なくスキンシップを求めてくる のも、きっと――いや、やめよう。 こなたの気持ちを勝手に推測して、わかったような気持ちになるのはやめよう。それはきっと、 今ここにいるこなたに対して失礼なことだと思うから。 「うーん、nice boat.」 西日に照らされた海に浮かぶクルーザーを指さして、こなたがつぶやいた。太陽はすでに 水平線に掛かっていて、断末魔の赤い色で海原を染め上げて沈もうとしている。 「はいはい、中に誰もいないわよ」 「あ、見たい?」 「なにがよ」 「私の中」 「ちょっ! おまっ! 悪趣味にもほどがあるわ!」 想像したら、なんだかわからないことになった。 海鳥が翼を拡げて滑空する。上昇気流を捕まえたのか、そのままはばたきもせずに上昇して、 窓のフレームから消えていった。 海の上に浮かんで、こなたと二人きりの部屋は心地が良かった。 電気も点けず、少しづつ暗くなっていく部屋で、輝き渡る海を二人で見ていた。 くっつきすぎず、離れすぎず、隣り合ったベッドに腰を下ろして、どうでもいい会話をたまに 交わしながら、ただ海をみていた。 潮騒は続いている。 こなたも小父さんも、この町に住む皆も、この音が気にならないのだろうか。通奏低音のように 常に聞こえてくる潮騒が。 「――かがみ」 「なぁに?」 「やっぱり、こなきゃよかったって思ってる?」 「んー、そうは思わないけど……場違いなんじゃないかって心配なのよね」 「でも私だってこの町で産まれたわけじゃないし、あんま変わんないよ?」 「そんなことないだろ。あんたの実家はここなんだから。これから会う人たちだって、みんな 泉家の人じゃないの」 そう、この町は小父さんの産まれ育った町で。 だから帰郷したこなたたちは実家の親族と会うのだ。小父さんが暮らしていた家には今、 小父さんのお兄さんの一家と、そしてお父さんが暮らしているらしい。お母さんはすでに 亡くなっているとのことだった。 そしてもちろん私も、その席に同席するのだった。 「――泉家かぁ。なんかぴんとこないや。泉家っていったら、ずっと私とお父さんの二人のこと だと思ってたから。こっちにくるようになったのも中学校に上がったころからだし」 そう云ってぽふんとベッドに寝転がる。 腰をひねったままこちらを向いて、真剣な顔で私のことをみつめている。 「かがみ、あのさ」 「なによ?」 「こ――」 云いかけたところで、がちゃりとドアが開いた。 「二人とも、兄貴きたからそろそろ出るぞー」 そう云ったそうじろうさんの顔に、こなたが投げた枕がジャストミートする。 「ノックくらいしてよ! かがみがいるんだから!」 こ――何だろう。 気にはなったけれど、改めて問い返す機会もなかったので、結局それはうやむやになった。 ざっくりした荒目のセーターにブルゾン。黒縁眼鏡に、七三に撫で上げた髪は油を塗られて 光っている。そして無地のスラックス。 どこからみても、休日のお父さんという装いだ。 「初めまして、かがみ君だね。そうじろうの兄のそうたろうです」 そういって爽やかに笑う小父さんは、今にも握手を求めて手を差し出すか、胸ポケットから 名刺を差し出してきそうなほど社会人らしい社会人だった。 「初めまして、柊かがみです。こなたにはいつもお世話になっています」 大人向けの優等生スマイルを浮かべてそう云ったとき、隣で盛大に吹き出す音がした。 「ぷぇっ! お世話になってるって、何その社交辞令120%!」 「う、うっさいな! 茶化すなよ!」 「むふー。無理しないで、いつもみたいに“迷惑ばかりかけられてます、謝罪と賠償を請求するニダ” って云っていいんだよ?」 「そんなこと一度たりとも云ったことねぇよ!」 こなたの親族に少しでもいい印象を与えようと思ったのに、一瞬にして全て台無しになってしまった。 「ふふっ、聞いていた通りだね」 ころころと楽しそうに笑うそうたろうさんだった。 一体誰からどのように聞いていたのだろう。少し、いや凄く気になったけれど、きっと聞かぬが華と いうものなのかもしれない。 「夫婦漫才をみてるみたいだろ。もういっそ結婚すればいいって、いつも思うんだよな」 そうじろうさん、それは親としてどうかと思う。 なんだかいきなり疲れた。この先ずっとこうなのかと思うと、少しだけ不安だった。小さく ため息をついた私をよそに、こなたと伯父さんは楽しそうに話している。 「こなたちゃんも大きくなったなー。前はこんな小さかったのに」 そういってこなたの身長と同じ高さに手を置いている。 「またそのネタですか! どうせ私は伸びませんよ!」 こなたがふざけて出した正拳突きを笑いながら受け止めて、小父さんはこちらを向いて云った。 「かがみ君は、慶応志望なんだって?」 「あ、はい。そうなんです。学力的にはぎりぎりなんですけど」 「そうかそうか。是非頑張ってください。受かったら僕の後輩です」 もう陽は大半が没しているのに、きらりと眼鏡が光った気がした。 泉家へ向かう車中では、大学のことを色々と聞くことができた。小父さんが通っていた頃とは 随分事情も違うだろうけれど、それでも実際に通っていた人から聞く話は色々と参考になることが 多かった。 やがて陽も完全に没して、町が宵闇に包まれた頃、泉家に到着した。 年期が入った平屋の建物だった。何度かリフォームされている跡はみられたけれど、全体的に やはりどこか古びた印象を受ける。敷地面積はこの辺りの家に比べても広く、けれどその大半は 手入れのされていない雑木林だ。庭のガレージは随分大きくて、車が二.三台収まっているとしても まだ余地があるくらいだろう。 「車入れてくるから、中入っててよ」 そう云ってガレージにむかったそうたろうさんを後にして玄関に向かった。 こなたが呼び鈴を押すと「はーい」という子供っぽい声が聞こえてくる。ぱたぱたと跫音がしたあと、 ガラリと引き戸が開いた。 戸を開けたのは、藍鼠色の長髪を後ろで縛った小学校低学年くらいの女の子と、高学年くらいの 男の子だった。 「こなたねえちゃんだー」「ちゃんだー」 兄妹とおぼしき二人は、口々にそう云ってこなたに駆け寄った。 「久しぶり、すぐる君にゆみちゃん」 微笑むこなたは、ゆたかちゃんに見せるようなお姉さんの顔をしている。 「ねえちゃん、モンハンもってきた? 祖龍倒すの手伝ってよ。ゆみがすぐ三死して倒せないんだよー」 「ぬおっ、会った端からそれですかっ」 「むー。あんな雷避けられるわけないよぉ」 腕をひっぱるすぐる君とぷーと頬を膨らませるゆみちゃんを前にして、こなたはしめしめという 表情で目を細めて笑っていた。 「うむうむ、二人とも順調に育っているようだね、こりゃ将来が楽しみだー」 「こなたちゃん、遊んでくれるのは嬉しいけど、あんまりディープな世界に連れ込まないでくれる?」 後から現れた短髪の女性がからからと笑った。大柄だけれど太っているという感じはしない、 たくましい印象の人だった。兄妹と同じ藍鼠色の髪をしているところをみると、この人がそうたろうさんの 奥さんのなつこさんだろう。 「おかえりなさい、二人とも。それといらっしゃい、かがみちゃん」 声をそろえて「ただいま」というこなたとそうじろうさんに遅れて、私は「お邪魔します」と返事をした。 廊下の先から相好を崩した好々爺という雰囲気のおじいさんが歩いてくるのがみえる。 足取りはしっかりとしていて、未だかくしゃくとした感じだった。あれがきっとくにおさんだ。 ガレージに車をおいてきたそうたろうさんが戻ってくる。これで泉家は全員のはずだった。 一人だけ名字の違う私は、その同じ名字を持つ集団を眺めながら、朝から何度も繰りかえして きた言葉を頭の中で呟いた。 ――どうして、こんなことになったのだろう。 潮騒の音は未だ続いていた。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 『4seasons』 秋/静かの海(第四話)へ続く コメントフォーム 名前 コメント 少しは手加減してよ! じゃないと書き手側のおれは吊ってくる寸前だよ! ……orz -- 名無しさん (2008-02-24 04 01 23) こなたとかがみをもっと幸せにしてあげてください。お願いします。うん。 -- 名無しさん (2008-02-24 01 47 52) ……ぐはっ…今の気持ちを上手く語源化できない自分に腹が立つ… とりま今までで一番GJ!!!!いつまでも読み続けていたい!! -- 名無しさん (2008-02-24 00 21 35) イヤッホォォォオオ! オリジキャラに違和感がないぜ! 綺麗な文章で人物の描写が上手くて、良いな、うん。 -- 名無しさん (2008-02-23 21 11 39)
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『4seasons』そしてまためぐる季節/前より続く ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― §3 手を繋いで、私はこなたと歩いている。 夕陽に照らされた川沿いの土手道を、こなたと二人で歩いている。 ――影が、長い。 澄み渡った空に広がる、茜色の残照。それが私たちの影を青黒く塗りつぶし、だから私たちはこの川沿いで手を繋ぎながら歩いている。この手を離したら最後、目の前の親友が覚えも知らぬ他の誰かに変わってしまうかのように、お互いの手にすがりながら歩いている。 川の向こう、立ち並ぶ街並の奥に夕陽は没し、遠景をただ青黒い線に変えていた。 満々と水を湛えた大落古利寝川は、春の空気にたゆたうように流れている。その水面にもう一つの落日を写しながら流れている。 犬の散歩をする女の子。ジョギングをする中年男性。空を渡っていくカラスの群れ。河川敷の芝生で語り合う男女。同じく卒業式帰りだろうか、肩を叩きながら笑い合う男子中学生たち。 緑多い古利寝川の土手道は、糟日部市民たちの格好の散歩道になっている。青く澄んだその古利寝川の水面は、今日も昨日も一昨日も、変わらず同じ風景を映し出していることだろう。 今日も、この街にとっては昨日と何も変わらない一日だ。 私たちが高校を卒業したと云っても、この世界はそんなことはまるで意に介さず回っている。ただスポーツバッグに刺さった細長い筒だけが、私たちの卒業を示して揺れていた。私たちの歩みに合わせて揺れていた。 少し前を行くこなたの顔は、逆光になっていてよく見えない。 黙々と私の手を取って歩く、こなたの顔はよく見えない。 「――それにしてもさ」 ぽつりと私が云うと、こなたは魂を抜かれたような声で「んー」と唸った。 「まさかあんたが大泣きするなんてね」 「ま、まだそれでひっぱるんだ。……もうほっといてよ」 こなたは、恥ずかしそうに顔を背けている。 その輪郭が、夕陽を浴びて白々と輝いている。 「にひひ、ツンデレ萌え~」 わざとらしく口調を真似て、こなたのことをからかった。 こなたはますます顔を赤くして、私から離れるように身をよじる。 けれどこなたは、繋いだ手を放すことまではしなかった。 ――プアン。 川に架けられた鉄橋を、糖武野田線の電車が渡っていく。青いラインが引かれているはずの電車は、夕闇にただ青黒く沈んでいる。 ――どうしたの? なんて聞く必要もない。私たちの間で、理由なんて必要ない。 ただ私と並んで歩いていたかった。こなたが私を引き留めた理由なんて、きっとそれだけで充分だ。 ――私だって、同じ気持ちだったから。 ※ ※ ※ 打ち上げと称して、みんなで糟日部駅前のファミレスになだれ込んだ。時刻はまだお昼時。卒業式の後とはいっても、そこは健全な女子高生――いや、若い女の子たちのこと。お昼になればお腹も空くし、喋りたいことだって、まだまだ沢山あるものだ。 私たちの間で泣き出してしまったのはつかさとこなただけだったから、話題はそのことに集中していった。特にみさおは普段こなたに云い負かされていることが多かったから、ここぞとばかりにいじり倒したものだった。その度に照れながらそっぽを向くこなたが可愛くて、私も一緒になって遊んだ。 つかさはまだぐすぐすと鼻を啜っていた。あやのに頭を撫でられても、みゆきに慰められても、なかなか涙の余韻を振り切ることはできないようだった。 それでも、中学校の卒業式ほど酷い様子ではない。あの時は家に帰ってもまだ大泣きしていて、夜には私のベッドに潜り込んできたほどだった。 それを云うと場は大いに盛り上がり、つかさは湯気が出そうなほど真っ赤になってテーブルに突っ伏した。こんな風に騒ぎ立てるのが迷惑だとはわかっていたけれど、今日くらいは多めに見て欲しいと思った。私たちの様子から卒業式帰りだということはわかるのか、文句を云ってくる人はいなかった。 食事が運ばれてきても、私たちは食べながら色々なことを話した。大学で何をしたいかとか、陵桜で密かに不満だったことだとか、誰かがいつか云った面白い発言のことだとか。 この三年間にあった全ての面白いことや面白くなかったことを語り尽くそうとするように、私たちは喋り続けた。 二次会はカラオケボックスだった。 おきまりと云えばおきまりのパターン。陵桜のグループが他にも二組ほど入っていて、顔を見合わせてお互いに笑った。 あやのの歌を初めて聞いたこなたとみゆきは、目を丸くして聞き入っていた。実にこの子はカラオケが上手くて、昔から初めて聞いた子を驚かせたものなのだ。 こなたは相変わらずアニメソングばかり歌っていたけれど、私たちももう慣れたもの。よくわからない古いアニメソングも右から左へと受け流しながら、ぱらぱらとカタログをめくっていた。 けれど意外とみさおがそれに反応して、異様なハイテンションで男の子向けの古いアニメソングを一緒に歌っていた。 そういえばこいつも小学校の頃は男子とばかり遊んでいたと聞いていた。そういうところでも気が合うのかもしれないと、大口を開けて笑い転げるみさおを眺めて私は思った。 ――戯れに入れてみた『モンキーマジック』を、こなたは完璧に歌いこなした。 私もびっくりしたけれど、歌った本人が一番びっくりしていた。 リスニングの勉強をしているうちに身についたのだろう、発音だってちゃんとしたものだった。私はまた前のときみたいに、歌えないと云って泣き出すこなたのことを期待していたのに。 いつのまにか、こいつも随分成長していたんだな。 狙いとは違ったけれど、そう思うと私は酷く嬉しい気持ちになったのだ。 ――そうして、こなたがトイレに行くと云って席を立ったときのこと。 私は『カブトムシ』を歌い終わって、ほっとひと息吐いていた。 ――琥珀の弓張月 息切れすら覚える鼓動 ――生涯忘れることはないでしょう ――生涯忘れることはないでしょう 自分が歌ったその歌詞が、胸に染みついて中々離れなかった。つい感情移入してしまって、私自身歌の世界に入り込んでしまっていたように思う。みんなには受けたけれど、こなたがこの場にいなくて助かったと私は思っていた。 ――Everyday I listen to my heart 深いブレス音のあと、流暢な英語が聞こえてくる。みゆきが『Jupiter』を歌い出していた。 らしいなと、私は思う。みゆきは普段のほんわかぶりとは裏腹に、実にクラシカルで荘厳な曲が好きなのだ。この三年間一緒に遊んできて、私はそれを知っていた。初めてみんなでカラオケに行ったときには何を歌っていいのかわからない様子だったけれど、今はもうみゆきも慣れたものだった。 私たちは四人で、そうやって色々なことに慣れていったのだ。 と、ケータイが振動して、私にメールの着信を知らせていた。誰だろうと思いながら、持っていたウーロン茶のグラスをテーブルにおき、私はケータイを取り出した。 ――差し出し人は、トイレに行っているはずのこなた。 『あとで、二人で話したいんだ』 何事もなかったふりをして、私はそっとケータイを畳んだ。 ※ ※ ※ 「あー!」 こなたが前方を指さして、大きな声で叫んだ。 「わ、うそっ」 その方向を見て、私も信じられない思いでそう云った。 古利寝川沿いの土手道から河川敷に入ったところ、緑の芝草に包まれた桜並木の方だった。 ――満開の、桜が咲いていた。 十数本の桜の木が、その枝に白い桜を咲かせて立っていた。オレンジ色の夕陽に照らされて、その桜並木は異様なほど幻想的な雰囲気を周囲に投げかけていた。 「あ、ちょっとこなたっ」 立ち竦んでいた私の手を放し、こなたは一直線に桜の元へと駆けていく。えもいわれぬ不安にかき立てられて、私は慌ててこなたのことを追いかけた。 あんな桜はきっと普通じゃない。 こなたを一人であそこにむかわせてはいけない。全く理屈に合わない、そんな不合理な思いが頭の中を支配していた。 「――不思議。なんでここの桜だけ咲いてるんだろ」 やっと追いついた私を振り返り、こなたは呟いた。 舞い散る桜の花弁をその身に受けながら、こなたは茫洋とした顔つきで満開の桜を見上げていた。 「本当不思議ね。普通ソメイヨシノは同じ時期に咲くのに……」 こなたの手を取って、私は云う。暖かいその手の感触に、私はほっと胸をなで下ろしていた。こなたはどこにもいかずにここにいる。考えてみれば当たり前のことなのに、私はそれに心から安堵した。 「そもそもそれも不思議だよ。開花予想とかあるけど、普通花ってそこまで同じ時期に咲かないよね?」 「ああ、それはほら、ソメイヨシノがクローンだからじゃない?」 「ええっ、マジ!? 桜って実はなんかの秘密結社のバイオ兵器だったりすんの?」 「しねーよ。ってかクローンって言葉に変な意味くっつけすぎだろ。全部接ぎ木だってことよ」 「ん、あ、そゆことかー」 自分でも庭いじりをするこなたのことだから、どういうことかはすぐにわかったようだった。 こなたは持っていた荷物をぽいぽいと放り投げて、どっかと桜の根元に座りこんだ。そうして赤茶けた幹に背を預けて、頭上の桜を振り仰ぐ。 「じゃ、この桜も陵桜の桜と同じ個体ってことなんだね。――離れてても、一緒なんだ」 嬉しそうにそう云ったこなたの横に、私もそっと座りこむ。 「ソメイヨシノってそこら辺に植えられてるけど、サクランボがついてるところ見たことないでしょ」 「……あれ? そういえばそだね?」 「桜は自分じゃ子孫を作れないのよ。だから人間が接ぎ木しないといけないんだって――みゆきの受け売りだけどね」 私がそう云うと、こなたはすっと目を細める。 細めた目で満開の桜を眺めながら、こなたはしみじみと呟いた。 「そっか。どれだけ綺麗に花を咲かせても、桜って子供を作れないんだ」 ひらり。 春の風に吹かれて花びらがひとひら舞い散って。 私は、三年前の春のことを思い出す。 満開になった桜の森の下、今にも桜吹雪の中に吸い込まれそうだった青い髪の少女のこと。今よりも随分儚げで、今よりもちょっとだけ幼くて、今よりもほんの少し痩せていた、こなたのことを。 子供を作れない桜と、子供を作る行為ができないこなた。 全ての木が同じ個体である桜と、かなたさんを真似て髪を伸ばしているこなた。 ひらり。 花びらがひとひら舞い散って。 私はこなたの身体をぎゅっと抱きしめる。 「……お、おお? デレフラグきた?」 「バカ、そんな照れ隠しいらないわよ」 「――うん」 しばらくそのまま、言葉もなく抱き合っていた。 あの時は冬の真っ最中で、抱き合ってても寒いくらいだったけれど、今はこうしていると随分と暖かい。川を渡る風が髪の毛を揺らしても、二人で抱き合っているだけで随分と暖かい。 「――かがみはさ、強いよね」 ぽつりと、こなたが呟いた。 「そうかぁ? あんたの前じゃ弱いところばっか見せてきたと思うけどな」 「どこがさ。今もこうやって抱きしめてくれるじゃん」 「そりゃ、私がしたいからしてるだけじゃないの。あんたの方こそ不安じゃないの?」 「んーん、全然? だってかがみだし」 「――そう」 変な会話だな。そう思うとおかしくて、自然と笑みがこぼれてくる。そうしてくすくすと笑い出した私を見て、こなたも同じように笑い出す。 まるで卒業式なんてなかったかのように。 いつまでもこのまま一緒にいられるかのように、私たちはくすくすと笑っていた。 「――わたしたちさ、このままいつまでも友達のままいられるんだよね?」 笑いの中に紛れ込ませるように、こなたが云った。 何気なく云ったように見せかけているけれど、そのセリフに沢山の勇気が籠められていることに、私は気づいていた。 だって、私の腕をつかんだ掌に、ぎゅっと力が入っている。 「――うん。私はそのつもりよ」 私が答えると、こなたは桜のように笑った。 今満開の花を咲かせている季節外れの桜のように、それは綺麗な笑みだった。けれど少しだけ儚げな笑みだった。今咲いている、季節外れの桜のように。 「今までみたいに、特に用事がなくてもメールしたり電話したり、してもいいんだよね?」 「――勿論よ。こなたが厭って云っても、私の方からそうしてやるわよ」 「大学はちょっと遠いけど、ちょくちょくみんなで待ち合わせして遊びに行ったり、土日とかはみんなと泊まりで遊んだり、できるんだよね?」 「――そうね。みんなのスケジュール合わせるのは大変かもしれないけど、折を見て前みたいに集まりたいわね」 「コミケとかワンフェスとか一緒に行って、一緒にコスプレしたりひよりんの搬入手伝ったり、できるんだよね?」 「――ごめんそれ無理。ってかそんなこと今まで一度たりともしてないだろ」 「えーなんでー? かがみんのけちんぼー!」 わざとらしくぷーと頬を膨らませ、こなたは腕をぱたぱたと動かした。 それが可愛くて、私は声を立ててあははと笑った。 「一緒に行くくらいならいいけど、コスプレとかは絶対無理!」 「むぅ。でもでも、かがみんは絶対コスプレ似合うよ? スレンダーだし、肌白いし、ツンデレだし」 「そんな褒め方されても全然嬉しくないわよ。そもそもツンデレじゃないし、コスプレとも関係ないし」 「もー、わがままだなぁ、かがみんは」 「どっちがだよ」 私は呆れながら。こなたはニマニマと笑いながら。 こんな会話だって、これから先ずっとしていける。 私たちはずっとこうやって、じゃれ合いながらもくっつくこともなく、二人でお互いのことを眺めながら年を取っていくことができるのだ。 そのとき私はそう思っていた。 ――けれどその次にこなたが云ったセリフは、そんな私の予想をまるごと吹き飛ばしてしまったのだ。 「あ、それとさ。今までみたいにお互いの家に遊びにいったりも、できるよね? 平日の夜でも、休日の朝でも、ふと思い立ったとき。自転車に乗ってって、だらだらとゲームとかして過ごすの。気がついたらつかさもいて、私たちはどうでもいいことで笑って――」 その言葉にどんな反応も返すことができず、私は口ごもったまま固まった。 ――私は、一人暮らしをするということを、まだこなたに伝えていなかった。 つかさに泣かれてしまったあと、みんなに云っておかないといけないなとは思っていた。けれどあの前後こなたはずっと大変な状況だったし、その後も私はそれを告げられるような精神状態ではなかった。受験期間中は、合格後の予定なんて無邪気に云うことははばかられたし、合格が決まってからはみんなの笑顔に影を落としたくなかった。 云おう云おうと思いながら、結局卒業式のこのときまで、私はそれをつかさ以外に云い出せていなかったのだ。 無言のままの私に何かを感じたのだろう、腕の中のこなたの身体が凍りついていた。さっきまでこなたの身体はあんなに暖かかったのに、まるで物理的に体温が下がっているような気さえした。回した腕の下、こなたの筋肉が緊張したように固まっていくのがわかった。 「――かが、み?」 夜の底から響いてくるような声だった。まだ陽は落ちきっていないのに。もう春だというのに。それは冬の夜の冷たさをまとった声だった。 「――ごめん」 「え? なにそれ、なんで謝ってんの?」 「私、一人暮らしするんだ。慶央って見田はともかく日良はちょっと遠いし……」 「……へ?」 「もう契約もしちゃってるから、今月末には荷物まとめることになると思う。いいところだったわよ。元住良で、キャンパスから歩いて二十分くらい。自転車買えばすぐよねー。大学行くならちゃんとメイクしないといけないし、服だって今までみたいにはいかないわよね。毎日着こなし考えるの大変そうだわ。だから、ぎりぎりまで家にいられるのって便利だと思わない? ねえ? どう思う?」 腕の中で固まったこなたに、私は必死で声をかける。何も云ってくれないこなたの身体を揺すりながら、私は取りすがるように抱きついて、こなたに必死で問いかける。 ――寒い。なぜだか酷く寒かった。 けれどこなたは何も云ってくれないまま。 するりと、私の腕の中から抜けだした。 しっかりと捕まえていたはずなのに、気がついたら腕の中にこなたの身体はいなかった。 途端に忍び寄る冷気に、私は桜の下で身震いをする。 「……なんで、今までそんなことわたしに云ってくれなかったの?」 こなたの顔は逆光に沈んでいる。青黒い夕闇の色に染まっている。 「あ、あんただけじゃないわよ。つかさ以外にはまだ誰にも云ってなくて……ごめん、なんか云いづらくて……」 「なんで? わざわざ一人暮らしなんてしなくてもいいじゃん? 二時間くらいなら、通ってる人いっぱいいるよね?」 「そう……そうだけど。でもロースクールとか通うならあっちの方が便利だし、一人でやってみたいっていう思いもあるのよ。そりゃ、仕送りとかしてもらうんだし、ちゃんとした自立じゃないけど……」 「――それって、わたしと離れてでもしたいこと?」 氷の刃のようなこなたの言葉が、私の胸に突き刺さる。途端に私の手足が、身体が、心が冷えていく。その冷たさに、凍えたように身体の感覚がなくなっていく。 「……違う、違うよ。あんたと何かを天秤にかけるなんてこと、絶対にしない……」 「――わたしが――」 呟いて、こなたもそこで口ごもる。 何を云うのだろうと思いながら、私はじっとこなたの顔を見つめていた。死刑宣告を待つ罪人のような気持ちで、私はこなたの顔を見つめていた。 ――その顔に、ひとひらの桜が舞い落ちて。 そうしてこなたが、口を開く。 「――わたしが、振ったから?」 「こなたっ!」 その言葉を聞いた途端、弾かれたように私は飛びだしていた。 何かを考える余裕なんてまるでなかった。ただこなたにその先の言葉を口にして欲しくなくて、こなたの身体に飛びついた。 けれど、こなたの身体はそこにはない。 抱えた私の腕の中に、こなたの身体は存在していない。 ――さわさわ。 ――さわさわ。 頭上の梢が囁いて、どっと桜吹雪が降ってくる。 四つんばいになったまま音がした方を眺めれば、いつの間にかそこにいたこなたが、私のことを見下ろしていた。 桜の木に背中を預けながら、荒い息をして。 追い詰められた獣のような眼差しで、こなたは立っていた。 「――うそつき! ずっと一緒にいてくれるって云ったじゃん!」 夕陽が横から照らしていて、顔の半分は闇に沈んでいる。けれど影の中こぼれ落ちる涙が陽を浴びて光っている。きらきらと、真珠のように光っている。 「云った……云ったわよ。だからずっと親友でいようって、云ってるじゃないの……」 その涙を愕然とした思いで眺めながら、私は喉の奥から言葉を絞り出していた。 この子の涙を止めたいと、ずっとそう思ってきたのに。 この子に泣いて欲しくなくて、ずっと私は我慢してきたのに。 ――なのにどうして、こなたは泣くんだろう。 「じゃあ、どうして遠くに行っちゃうなんて、云うのさ!」 「そんなこと、一言も云ってない!」 「云ってなくても、遠くに行くんでしょ!」 「遠くなんてない! 精々二時間もあればいつでも会える! 会いたいときに会えるだろ!」 ぎゅっと目を瞑って私は叫ぶ。こなたの涙を振り切るように、私は叫ぶ。 それを聞いただろうこなたの方からは、一切反応が返ってこなかった。こなたは絶句したように言葉を止めていた。その沈黙に、私はそっと目を開く。 こなたは、顔を歪ませて震えていた。切なげに眉尻を下げながら、何かを我慢するように全身を震わせていた。 「……遠いよぉ……遠いんだよかがみ……。それじゃ私には遠いんだよ……」 桜の木に背中を預けたまま、力尽きたようにこなたはずるずるとしゃがみ込む。流れる涙を隠すように顔をうつむかせ、しゃくり上げながら両足を抱え込む。 「なんで……なんでそんなに……こなた……」 膝に顔を埋めながら、こなたは泣いている。桜が舞い散る中、子供がわがままを云うときのように、全身全霊で泣いている。 そうして私は、それを信じられない思いで見つめているのだった。 ――なんで泣いているのかがわからない。 こなたがこんなに苦しんでいる理由が、私にはわからない。 「かがみは……かがみは優しいから、きっとすぐ新しい友達ができるんだ……。かがみは格好いいから、すぐに人気者になっちゃうし……。かがみは、かがみは可愛いから……すぐ、彼氏だってできちゃうんだよ……」 私はそっとにじり寄る。四つんばいになったまま、顔を伏せて泣くこなたの元へとにじり寄る。 「……そしたら、そしたらかがみは私のことなんて忘れちゃう。格好良くて優しいかがみには、きっと格好良くて優しい彼氏ができるから……。こんな、チビでオタクで頭悪い私のことなんて、かがみはきっと忘れちゃう……」 「そんなはず、ないだろ」 低い声でそっと囁くと、こなたはびくりと身体を震わせた。私が近くにいることに気がついていなかったのだろう、驚いたように顔を上げると、目を丸くしてあとずさる。 「あるよ……」 「ないわね」 「あるってば……」 「ないって云ってんだろ」 嫌々をするように首を振りながら、こなたは後ろ向きにあとずさっていく。 私はゆっくりと追いかける。 「あるよ……。彼だって、可愛い彼女作ってたじゃん。魔法使いちゃんだって、あんなに好きだったのに……今はもうどこで何やってるのかもわかんない。かがみだってそうなるよ……か、かがみだって、かがみだってきっとそうなるよ……」 「絶対にならないわね。私のことバカにしてんのか?」 私がそう云うと、こなたは喉に何かがつまったような顔をして、ぴくりと動きを止めた。そのまま止まってくれることを期待して、私はこなたの方へと這っていく。 けれどそれも一瞬のことだった。大きな嗚咽を一つ吐き出すと、こなたはより一層動きを早めて逃げようとする。頬を伝わる涙の河が膨れあがっていた。 「――そうやって、いつまで逃げてくつもりよ」 「かがみには、わかんないよ……」 私はそのまま追いかける。 こなたは逃げていく。 「あんたはいつもそうだ。いつだって自分のことを卑下してて、自分自身のことに無頓着で……投げやりで……」 「かがみにはわかんないよ!!」 「ああ、わかんないわよ。云ってくれなきゃわかるもんか! 云えよ! 全部云え! 私が受け止めてあげるから!」 私が怒鳴りながら立ち上がると、こなたも慌てて立ち上がる。 けれどその足が震えている。 振り返って逃げ出そうとするこなただったけれど、二、三歩走っただけで足をもつれさせてよろめいた。 私はそのままこなたの身体に飛びついた。 ――私も、投げ飛ばされたりするのかな。 心の中でそんなことを考えて。よくわからないなりにこなたの身体にしがみつく。その細い腰に腕を回して、身体を持って行かれないように、腕を組んでぎゅっとこなたを抱きしめる。 そのまま、こなたと一緒に転がった。 投げ飛ばされるどころか、こなたは私の勢いを受け流すこともできずに、そのまま一緒に転がっていった。 芽吹いた春の若草を押しつぶしながら、ごろごろと転がっていく。 鼻腔一杯に広がる、青臭い草の香り。 が頬に当たる、湿った土の感触。 ハルジョオンかヒメジョオンかわからない、白い花が咲いていた。 そうして気がつけば、私の下にこなたの身体があった。 私の身体に押しつぶされて、小さなこなたがそこにいた。 ――胸が、張り裂けそうに痛い。 何かの予感が湧きだして、胸のどきどきが止まらない。 こなたは息を荒げながら、涙をこらえるように瞳をぎゅっと閉じていた。閉じた目蓋の上に握り拳を乗せながら、こなたは子供みたいにすすり泣いていた。 「い、嫌だった……わたし、凄い嫌だったんだよぉ……。かがみの隣にわたし以外の子が立ってるってこと……。かがみが私以外の子に、あの、優しい笑顔を向けてるとこ……想像してみたら、胸がきゅーって締めつけられるみたいで、居ても立ってもいられなくて……」 「――こな、た……?」 なんだろうと思う。 こなたの胸を締めつけるその感情は、一体なんだろうと思う。 けれど私は知っている。 それに近い感情を、私は知っている。 その感情を呼ぶ、一番わかりやすい名前を私は知っている。 ――そんなはず、ないのに。 こなたがそんな感情を持てないからこそ、今こうなっているはずなのに。 それでもこなたが伝えたその想いは、私にとって余りにも馴染み深い感情で。 この一年間、ずっと私の胸を締めつけてきた感情で。 ――私の胸が、どきりと音を立てて鳴る。 「――こなた。私の目を見なさい」 表情を隠そうとするこなたの腕を取り、顔の左右で押さえつけながら私は云う。 ――こなたは、ぎゅっと目を瞑って震えていた。 私は、そんなこなたを覗き込むように顔を近づける。もう二度と目をそらせないように、もう決して言葉をごまかせないように、私はこなたに顔を近づけた。 薄く目を開けたこなたがはっと息を呑み。 そうして、その綺麗な瞳を見開いた。 「云って、こなた。私のこと、どういう風に好きなのよ」 「――どういう、どういうって……。わ、わかってる癖に……。かがみの好きっていう感情とはまるで違うって……わたしはちゃんと人を好きになることができないって、わかってる癖にそういうこと云うんだ……?」 「いいから。云って」 ぐっと目に力を入れて、私はこなたのことを睨みつける。 こなたは、魅入られたように動かなかった。呆けたように口を開けながら、じっと私の目を見つめ返していた。 ぱちくりと、涙を切ろうとするように青竹色の瞳を何度かまたたかせ。 そうして、こなたは喋りだした。 「――大好き、だよ。……でも、わたしが恋愛感情なんて持てるわけないんだから、これってきっと本当の好きとは違うんだよね?……かがみとずっと一緒にいたい。かがみのことずっと見ていたい。かがみに、わたしのことだけ見ていて欲しい……でも、これも本当の好きじゃないんだよ、ね?」 私は、思わずこぼれそうになった涙をぐっと抑えつけていた。今は泣いているような場合じゃない。そう思って、私は自分の感情を心の奥に押しやった。 ――みゆきが、そうしたように。 私にもそれができるはずだった。 「――知ってる? かがみ、気づいてる? かがみって、わたしを見るときすっごく優しい顔するんだよ? “しょうがないな”って顔するときも、しっかりしろって小言云うときも、いつだって瞳だけは優しいんだ。……それで、それでわたしはそんな目で見られる度にいっつもどきどきして、いてもたってもいられなくなって。だからなんとかしようとしてかがみのことをいじくって、そうしたら、かがみはいつでも可愛くて……だからまた、わたしはどきどきしちゃうんだ」 ――まるで、だめだった。 子供みたいに素直な瞳で、私を見上げながら懸命に喋るこなたを前にして、涙をこらえることなんてまるでできなかった。 ――ぽたり。ぽたり。 私の瞳から流れた涙が、こなたの顔に次々とこぼれ落ちていく。 顔を背けよう、こなたを汚さないようにしよう、そう思ったけれど、私の身体は痺れたように動かなかった。 「……かがみ?」 きょとんとした顔で、こなたは小首を傾げて問いかける。顔に降り掛かる涙を避けようともせずに、無垢な瞳で問いかける。 「どうして……」 「――え?」 「なんで……なんでこんなことになっちゃったのよ……」 「それは……わたしがアセクで生まれたりしたから――」 「違う!」 私が怒鳴ると、こなたはその大声に驚いたか、びくりと身体を震わせた。 「いつから? いつからそんな風に思ってたのよ?」 「んー……わかんないけど、一年の二学期くらい?」 「そんなに……そんなに前から……」 今自分が感じている感情が一体何なのか、私にはまるでわからない。 悲しみなのか。 喜びなのか。 恨みなのか。 憎しみなのか。 まるでわからない。 まるでわからないけれど。 ――ただ、こなたが感じているその感情のことだけはよくわかる。 「あんた、ずっと私のことが好きだったんじゃない!」 怒鳴るようにそう云うと、こなたは不思議そうな顔で目をぱちくりとさせた。 「そだよ? 最初にあったときから、ツンデレツインテ萌えだって――」 「違う、違うのよこなた……それが恋なの! あんたが感じてるそれが、私が感じてるのと同じ、恋なのよ! あんた、ちゃんと恋愛感情持ってるんじゃない……」 ――涙なんて、全部流し尽くしたと思ったのに。 あの日、クリスマスの次の日に。みゆきの胸の中で、涙の塊なんて全部溶けて流れていったと思ったのに。 ――春の雪解け水のような涙の奔流が、心の底から湧き上がっては瞳の端から流れていった。 「――うそぉ?」 呆然とつぶやくこなたの顔は、どこもかしこもぐしょぐしょだ。私の涙とこなたの涙が入り交じっていて、水から上がったばかりのように濡れている。 長いまつげの先端に、涙の雫が乗っている。こなたの瞳が迷うように震える度、夕陽を照り返して宝石みたいに光っている。 「ほ、本当よ……あんた、私に恋してるの、よ……」 そう云う私の唇も震えている。喉の奥からせり上がってくる嗚咽をこらえながら、私は懸命に言葉を絞り出す。 もう何度、私はこうしてきたのだろう。あふれ出る涙の狭間から、何度私はその想いを伝えようと、懸命に言葉を発したことだろう。 ――けれど違う。 この涙は、今まで流してきたものと、まるで違うものだった。あの夏の日も、あの秋の日も、あの冬の日も、私はこんな暖かい涙を流したことは一度たりともない。 「……ねぇこなた。抱きしめても、いい?」 「……う、うん。いいよ」 そっと、身体を重ねていく。 壊れ物を扱うように、そっと。 大の字に手足を投げ出したこなたの身体に取りすがり、頬と頬をすり寄せて抱きしめた。 「……どう? こなた? どう思う?」 「……暖かくて嬉しい……。凄く、どきどきするよ、かがみ……」 「あぁ……もう、こなたぁ……」 どうしようもなく、涙が溢れてくる。 胸が一杯になって、後から後からわき出してくる。 ――けれど違う。 この涙は、悲しくて泣いた涙では決してない。 私は、この一年で初めて、嬉しくて泣いていた。 「ねぇ、こなた」 「うん」 「――私たち、つき合おう」 「――え?」 「私たち、つき合えるわよ。親友じゃなくて、恋人同士にきっとなれる。あんたが私のこと、あんな風に想ってくれるなら……」 「恋人……? わたしと、かがみが?」 「うん」 「ちょ、ちょっと待って!」 耳元でこなたがそう叫んだかと思うと、ぐるりと私の身体が反転する。上からこなたに覆い被さっていたはずなのに、いつの間にか私の身体は地面の上に横たわっている。 そうして、こなたの身体が離れていった。 「なんで? なんでそうなるのさ! アセクなんだよ、わたし? 恋なんてできない、アセクシュアルなんだよ?」 私から少し離れて、けれどそれ以上距離を置こうとすることなく、こなたは真剣な眼差しでじっと私を見つめている。 ――そういう、ことか。 こなたが陥っているところがどこなのか。こなたを泣かせているのが何なのか、やっとそれがわかった気がした。 「――あんた、知らないの?」 「なにがさ」 「アセクって云われる人だって、恋愛できる人もいるのよ?」 「――え?」 私はゆっくりと身体を起こす。こなたは、もう逃げようとはしていない。涙だって流していない。 ただ、惑っていた。 自分がどこにいるのかわからなくて迷う、自分が何者なのかわからなくてうろたえる、それは迷子の眼差しだった。 ――クリスマスの日、みゆきに許される前の私に似ている。そんなことを考えた。 「アセクって云われる場合にも二種類あるのよ。狭義だと性に絡む一切の感情を持てなくて恋愛感情だってまるでないけど、広義のアセクはただ性欲がないだけで人を好きになれる場合もある……私だって、あれから少し調べたんだから」 「――嘘……。でも、でもわたしかがみのこと好きだけど、それ以上のことしたいなんて思えないよ? ただ一緒にいるだけで幸せで……普通の恋人がしたがることなんて、なにも……」 「わかってるってば。だから、あんたはアセクなんでしょ? でも性欲と恋愛感情は直接結びつかない。エロゲばっかやってたあんただから、もしかしたら誤解してるのかもしれないけど……」 夕陽はほとんど水平線に沈み込み、空には瞬いた星がある。浮かんだ雲だけが残照に明るく輝いて、落日の最後の余韻を醸し出していた。 こなたの顔も、もうすぐ夕闇に沈む。 未だその輪郭をオレンジ色に輝かせているけれど、あと少しでこの世界にも夜が訪れる。 ――その前に。 暗い想いに捕われてしまう、夜が来る前に。 「――嘘……嘘、だよ。だってお医者さんが云ったんだ……あの日のクリスマスのことを話したら、お医者さんが云ったんだよ?『強い性嫌悪があるから、アセクシュアルの可能性がある』って……。まだ若いからそうじゃない可能性も充分あるって云ってたけど、でも、わたしはわたしが他の子とどっか違うって、性欲がないんだって、ずっとわかってたし……」 「おかしいじゃない」 「え?」 「強い性嫌悪があるあんたが、何でよりによって私に抱きしめられて嬉しそうにしてんのよ」 「――え?……あ、あれ?」 「そりゃ、私はそういう気持ち出さないようにしてたわよ。でもさ、嫌悪があるならもっと不安がるでしょ? ってか私があんたのことが好きだって気づいてからも、あんた平気で触れてきたじゃない」 「……そ、そだね? でも、あれ?」 混乱した面持ちで、こなたは頭を抱え込む。頭を抱えて、そうしてその場でしゃがみこむ。 目の焦点が合っていなかった。 何かを必死で考え込んでいて、目の前の光景が何も見えていない。こなたの顔にはそんな虚ろな表情が浮かんでいた。 「おかしいだろ! 性嫌悪があるなら、私にキスなんてできるはずない! あんた云ったでしょ、私にキスして嬉しかったって。性嫌悪があるなら、そんな風に思えるわけないじゃない!」 「……でも、でも……だって……。みんながわたしに云ったんだ。『それは恋じゃないだろ』って……。あの日も、わたしが魔法使いちゃんのことが好きだって云ったときも、その前も、さくらと知世ちゃんの関係に萌えてたときだって……女同士で抱く感情なんて恋じゃないって、みんな……」 こなたはがっくりと膝をついている。膝をつき、地面を眺めながら荒い息を吐いている。 「――あんた、レズビアンなんじゃないの?」 「……え?」 顔を上げて、呆然と私のことを見つめていた。その瞳に月を写しながら、こなたは魂が抜けたような顔をして、私のことを見つめていた。 「彼に身体を触られて嫌悪感を覚えたのは、あんたが狭義のアセクシュアルだからじゃなくて、ただ単にレズビアンだからなんじゃないの?」 「――うそ……」 そう呟いて、こなたはぺたんと座りこんだ。 どこにも力が入らない様子で、肩を落としながらうつろな眼差しで前方を見据えていた。 ――暖かい、春の風。 さわさわと梢を揺らして、ひらりと桜が舞い散った。 「そ、それじゃわたし……かがみのこと、好き、なの? この気持ちが、恋なの?」 「だからさっきからそう云ってるじゃない」 舞い散った桜が、こなたの頭の上に乗る。 そうして私は、こなたの方へ足を踏み出した。 「……え? でもだって、え? かがみ?」 「なによ」 ずいとこなたの顔を覗き込む。 目を逸らそうとするこなたの肩を掴んで、強引に私の方へ向けさせた。 「……わ、わた、わたしでいいの? かがみ?」 「あんたじゃなきゃ、やだ」 そう云って、思い切り抱きしめた。華奢で細くて、心配になるほどどこもかしこも小さいこなたの身体を。 性の迷路の中で抜け道も見つからず、ずっと迷ってきたその身体を。 ひきずりあげるように、私は抱きしめた。 「で、でもでも。だってわたし、きっとかがみの想いに応えられないよ? かがみがしたいって思うことに、わたしは多分応えらんないんだよ?」 「おい、私のことバカにしてんのか。この一年、私がどんな思いで過ごしてきたと思ってんのよ」 ――こなたが、私のことを好きでいてくれる。 それだけで、今の私はどんなことにも耐えられる。 「私の、一番大切な人になって……こなた」 「……うわっ、……うわっ……」 私の腕の中で、こなたの身体が震え出す。喉の奥からせりあがってくる声は、言葉なのか嗚咽なのか悲鳴なのか、入り交じっていてよくわからない。 「うわあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!」 ――小さな、子供みたいに。 こなたは大口を開けてわんわんと泣き出した。身体全部を使って、全ての涙を絞り出すように泣き出した。今年大学生になる、大人の入り口に立った女の子としてはありえないほど、無垢であけすけで無防備な喚き泣き。 ――これが、こなたなんだ。 私の腕の中、私はやっとこなたのことを見つけ出すことができた。 ――生まれつき人と違っていた。 ただそれだけのことで、今までずっと迷って、悩んで、泣いてきた。それでも他人を憎むことなく、周りを傷つけないように生きてきた。周りに溶け込めるよう、懸命の努力を続けてきた。 自分だけの世界に閉じこもっても仕方ないくらいなのに。それでも必死で韜晦と自制の仮面を被りながら、全身全霊を篭めて他人との関わりを求めてきたのだ。 ――そんな優しくて、誠実で、寂しがり屋の。 泉こなたがここにいる。 陽が沈む。 こなたのピンと立ったアホ毛に残照だけを残して、陽が沈む。 夜の帳もついに落ち、今こなたは夜の底で泣いている。 頭上にあるのは月と星と空と雲。 ――そして怖いくらいに綺麗な桜。 けれどその下にいるこなたに、あの日の面影は欠片もない。 ――三年前の、春。 あの桜の海の下にいた青い髪の少女は今にも消えてしまいそうに儚げで、私は桜の精を見たんじゃないかと夢想した。 けれど今、私の腕の中で泣くこなたはどこまでも生身の人間だ。 暖かくて柔らかい、血肉の通った人間だ。 ときに男の子みたいにあけすけで、でも普段は女の子らしくお喋りで、子供みたいに無邪気かと思えば、大人みたいな考え方も持っていて、誠実で、優しくて、寂しがり屋で悪戯好きで、ちょっぴりずぼらで呆れるほどオタクな――私が大好きな女の子。 ――その生まれながらの特性を、宝石のような輝きに代えた。 私が大好きな女の子。 泉こなたを、桜の下で捕まえた。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 『4seasons』そしてまためぐる季節/後へ続く コメントフォーム 名前 コメント やはり、かがみとこなたは 運命共同体ですね! -- チャムチロ (2012-08-19 19 04 55) SSを読んでて、この作品で初めて鳥肌が立った…。凄いとしか言いようがない。 -- 名無しさん (2009-04-10 15 00 50) 最後の一行の破壊力が異常。何度読んでもぶわっとくる。 -- 名無しさん (2008-08-29 20 34 21)
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『4seasons』 冬/きれいな感情(第三話)より続く ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― §7 どうしてそういうことになったのか。それは恐らく十二月十二日の出来事に関係がある。 その日以降、こなたはずっと沈みがちだった。一見したところ普段どおりで、相変わらずニマニマと笑いながらふざけたことをぬかしていたけれど。その笑顔はどこか痛々しく、その発言は私たちの耳にはどこか空虚に響いていた。 けれど、だからこなたが私にキスをしたのかと云えば、それは少し違うように思える。その日の出来事は確かに私へのキスに繋がっていきそうに思えるけれど、きっと原因はそれだけではないだろう。 むしろその印象の強さで云えば、つい昨日、終業式の日に起きた出来事の方が影響は大きいように思う。だが、それでもその出来事が原因となってこなたにキスをさせたのかと云えば、やはりそれは違うのだろう。 そう、女子高生が親友にキスをしようと思うまでには、一つの原因だけではなく、きっと色々な出来事が影響しているはずだ。 それは例えば私がアルバムでしか見たことがない、こなたが小学生時代の出来事が関係しているのかもしれない。 それは例えば私がアニメライブで、前が見えなくてぴょこぴょこ跳ねていたこなたに席を代わってあげたことが関係しているのかもしれない。 それは例えば今年の秋、一緒にお墓参りに行った後に立ち寄った、兼六園での出来事が関係しているのかもしれない。 その全てが関係しているのかもしれないし、その全てが全く関係ないのかもしれない。 人の心のことなんて、わかりようがない。自分のことですらよくわからないのに、ましてや他人のことなんて尚更だ。 『気象は複雑系だから、一週間後の予測すら上手くいかない』 そう云ったみゆきのことを思い出している。 けれど、一番複雑で予測不可能なものと云えば、人の心なのだろう。そんなことを考える。 ――だから。 こなたがどうして私にキスをしたのか、その理由はよくわからない。 よくわからないけれど。 それでもきっと、その日十二月十二日に私がこなたの誘いを断っていれば、あの出来事も起きず、こんなことにはなっていなかったと思うのだ――。 ※※※ 「おーい、かがみさまー!」 「断る」 「ぬわっ、なんという即断っ! NOと云える日本人キタコレ!」 それは十二月十二日の放課後のことだった。 チャイムが鳴るやいなや、スパンと教室の扉を開け放って矢のように飛び込んできたこなたに、私は云った。 こいつが私のことを『かがみさま』なんて云うときには、どうせろくでもないことを考えているに決まっている。ましてやこんな風に満面の笑みを浮かべていたら尚更だ。だから私は教科書を鞄にしまいながら、わざと興味のなさそうな声で喋るのだ。 「だって、どうせろくな話じゃないんでしょー」 「いやいや、それがもう。かがみもこの話を聞けば、きっと泣きながら是非一緒に行かせてくださいと頼むようになるね」 手に持っていた鞄とコートを私の机に置いて、こなたは口から出任せを並べ立て始めた。コートを着込む時間も惜しがって、私の所まで駆けつけてきたのだろうか。そんなことを思いながら、私はいそいそとマフラーを巻きだしたこなたに目を奪われていた。 ふぁさ、とマフラーを翻して背中に垂らすと、そこに籠もっていたこなたの匂いが私のところまで漂ってくる。制汗スプレーか、ボディーソープか、シャンプーか。石鹸めいたさわやかな香り。 その匂いと光景に、どきりと私の胸が高鳴った。 なんでだろう、私は昔から女の子がマフラーを巻くところが好きなのだ。 人によって違うそれぞれのやり方で、冬の寒さから身を守ろうとしてくるくると身体に巻きつけるその仕草。それはなぜだか、私を秘密の儀式を覗き見たような気持ちにさせるのだ。ちなみに男の子の仕草にはなぜかそれを感じない。彼らの場合はただマフラーを着るだけだ。 「まー、とりあえず云ってみなさいよ。聞くだけ聞くから」 「……あ、あのね、帰り久しぶりに太宮に寄っていかない?」 「だが断る」 「どわーっ! かがみんのいけずー! いけず後家ー!」 それを云うなら行かず後家だろう。それだけでも悪いのに、よりによって“行けず”とはなんだ。けれどそう突っ込もうとしたとき、みさおとあやのが私たちのところへ近づいてきて云った。 「おうっ、ちびっこたち今日は寄り道かー、余裕ですなぁ」 「あんたに云われるとなんかむかつく。ってかまだ行くとは云ってないわよ」 「まだってことは、これから云うのかな? かな?」 私の髪をつんつんとひっぱりながら、こなたが云う。 「云わねーよ、ってか人の髪いじるな」 「かがみちゃんたちがどこか行くなら、私たちも久しぶりに糟日部あたりでちょっと遊んでいこっか?」 「お、いいなー。わたしはあやのさえよければいつでもオッケーだぜ」 「っておい、なんであやのまで私たちが寄り道するの確定してるみたいな云い方なの?」 「往生際が悪いね、かがみんや」 ポンと私の肩に手を置いて、嘆息するようにこなたが云った。 「悪くない!」 「だってほら」 こなたが指さす方をみると、教室の入り口でつかさとみゆきが笑いながらこちらに手を振っていた。 「それじゃ先帰ってるね、お姉ちゃん」 「また明日です、みなさん」 口々にそう云って、私の妹と親友は、くるりと身を翻して帰っていったのだった。 ※※※ 「――裏切られた」 太宮駅の改札から出て、私はぽつりと呟いた。 「かがみ、まだ云ってるー」 隣でこなたがふにゃふにゃと笑った。 十二月も半ばに入った太宮駅前は、もはやクリスマスムード一色だ。時計台には緑と赤のリース飾りがつけられていて、そこかしこに豆電球の塊が樅の木を模して立ち並んでいる。どこからか流れてくるのは、大御所ミュージシャンが高い声で歌ういつものクリスマスソング。気の早いサンタクロースが、パチンコ屋の名前を呼びながらポケットティッシュを配っていた。よくわからない何かを沢山出すのだそうだ。 「うー、寒いね」 そう云って、こなたはぎゅっと目をつぶってぶるると震えた。なんだか水浴びをした後の猫のようだと私は思った。 確かにこのところ曇りがちの天気が続き、気温もどんどん下がっていっている。クリスマス前後には雪が降るかも知れない。今朝見たニュース番組で、キャスターがそう云っていたのを思い出す。私も少し寒くって、ポケットに手をいれてちぢこまった。サンタクロースの衣装は暖かそうだな。そんなことを考える。 そのサンタから、こなたはちゃっかりとポケットティッシュをもらっていた。こなたはどこからどうみてもパチンコ屋の客とは思えないだろうから、サンタもティッシュを差し出しはしなかった。けれど目の前に立って細目でずいと手を出されたら、サンタも良い子にささやかなプレゼントを渡さないわけにはいかなかったようだ。 「んー、最近はアニメとか漫画のパチンコ台増えたよねぇ」 印刷された広告を眺めながら、こなたが云った。 「そうね。よくわからないけど、需要あるのかしら?」 ――さすがにこの分野には手が出せない。 口惜しそうにそう云うこなたに、私は笑った。 ――赤本を、買いにきたはずだ。 こんな時期に今更赤本か、と思ったけれど、どうやら新しく滑り止めを増やすらしかった。今朝学校に行く前に立ち寄った糟日部の書店には丁度置いてなく、ここの三省堂なら確実に置いてあるはずだ。そう思って私を誘って太宮くんだりまで足を伸ばしたと、こなたはそう云った。 「――で、なんで私たちは今ゲマズにいるんだ?」 「いや~。蜜に吸い寄せられる蝶みたいな?」 アニメのポスターやPOPで満ちた賑やかな店内で、こなたは細目で笑いながら頭を掻いていた。 「ほら、私最近頑張ってるし。頑張った私へのご褒美オタズッグなのだよ。かがみんだってそう云ってスイーツ食べるじゃん?」 「た、食べないわよ」 「いーや、食べてるね。だってほら、このへんむにっと」 「だからつまむなバカッ!」 「むっっふっふ、その慌てぶり。やはり体重が増えてると見たっ」 ニマニマと笑うこなたのことが本当に憎たらしいと思う。一体誰にきれいだと思われたくて、私が自分を磨いていると思うのか。けれどそんなことを考えて、私は心の中で苦笑する。それをこなたに知られたら困るのは私のはずなのに、恋する乙女というものは理不尽な存在なのだと思う。 「う……だ、だってしょうがないじゃない。勉強ばっかで全然動いてないんだもん」 「ククク……そんなかがみに出歩く機会を与えてあげようと云うわたしが悪党のわけがない……。云わば寄り道に誘ったのは善意。良心的行動でございます。ざわ……ざわ……」 「すまんがさっぱりわからん」 「そっか」 そう云って、こなたは山のように積んだ本とCDをレジに差し出した。 私もついでに、ラノベの新刊を三冊買った。 「結局かがみも結構買ってたじゃん」 太宮駅東口、ルミネ前にある喫茶店の窓際の席で、こなたはそう云って笑った。その半透明の窓から見える駅前広場では、誰もが寒そうに肩をすくめながら足早に家路を急いでいた。駅前のサンタクロースは、まだ健気にポケットティッシュを配っているようだ。 ――こなたは、チョコレートバナナパフェを注文した。 思い出す。あの日のことを懐かしく思い出す。 この喫茶店のこの席は、あの夏の日にこなたと私が喧嘩をしたときの場所に他ならない。女子高生に気軽に入れる喫茶店なんてそう数はないし、買い物をした帰りに少しお茶でも飲んでいこうと立ち寄ることはよくあることだ。だからこの喫茶店に私たちが入ったことは特別珍しいことでもないだろう。 けれどこなたが選んだ席が丁度あの日と同じ席で、こなたが注文したものがあの日食べていたものと同じであることは、偶然だとは思えなかった。ひょっとしたら、こなたはあの日をやり直したいと思ったのかもしれない。そんなことを考える。 喧嘩して別れ、こなたは泣きながら逃げ出して、私はそれをおいかけることができなかった、あの日。意識的にせよ無意識にせよ、あの日のリベンジをしたいと、こなたはそう思ったのかもしれない。 「わ、私はほら、買ってもすぐに読まないわよ。当分棚に置いたままのつもりだもん」 そう云って、私はフルーツパフェを口に運んだ。さすがにこの季節には、マンゴーフラッペは置いていなかったのだ。 「それを云うならわたしだって買ってもほとんど読まないよ?」 「え、そうなの? あんなに買っておいて?」 「うん、やっぱり買っておくと安心するし。ベッド脇の未読用本棚はすでにもうぎっしりで、さながら小山のように。読んでないから表紙も覚えてなくて、同じの何冊も買っちゃったりして。まー、保存用にするからいいんだけどね」 「……それ、むなしくならないの?」 「たまにね」 そう云って、ペロペロとパフェを舐めるこなただった。 「あ、でもだから今日はキャラソンとかドラマCDを重点的に攻めてみた」 「攻めてみたって、おい。ながら勉強する気満々かよ」 「えー、ダメデスカ? わたしの場合、静まりかえってるよりそっちのが頭に入るのだよ。高校受験だってそれで乗り切ったし」 「いや、それで頭に入ってるならいいけどさ。実際成績ぐんぐん上がってるし。でも“乗り切った”とか云って、高校受験と一緒にするなよ。受け身になってちゃ駄目なんだからね」 「んみゅー。相変わらずかがみは真面目だねぇ」 限りなく厭そうな顔をして、こなたはテーブルに突っ伏した。ぱさりと青い長髪がテーブルに広がって、滝のようにその縁からこぼれ落ちていく。 「大学受験くらい、真面目にならないでどうするんだっつーのよ」 その頭をぐりぐりと押さえつけて、私は云った。それはこなたがまたいつものように『はなせー』と云ってくれるのを期待してのことだった。けれど、そのときこなたはなぜか気持ちよさそうに目を細めてしまったのだ。 そうすると私がしているこの行為が何か別の物に変貌してしまったようで、私は慌てて手を離した。きっとまた、私の顔は真っ赤に染まっている。そう思った。 「んー、でも落ちたって死ぬわけじゃないしね」 こなたは、そんな私の動揺に気づかなかったのか、のほほんとした声でのんきなことを云いだした。そうして私はそれにほっとして、いつも通りの突っ込みを返すのだ。 「バカッ、何云ってんのよ、これで結構将来決まるんだぞ」 「えー、そっかなぁ? 高卒でも大卒でも楽しく生きられるかどうかにはあんま関係なくない?」 「そりゃそうだけど、選択肢が全然違うでしょ。どれをとってもやりたくない道しか選べなくなったらどうすんのよ」 「まー、そうなったらかがみとかみゆきとかつかさに寄生して生きるからいいもん」 ――きっとみんな喜んで拾ってくれるよー。 テーブルの上でつぶれたまま、ふにゃふにゃとした表情でそう云った。 その言葉を、素直に嬉しいと思った。こなたがそんな風に云ってくれて、私は素直に嬉しかった。 けれどそんな思いは心の奥にそっとしまいこんで、私はいつもの真面目な表情を作ってこなたを睨みつけるのだ。 私には、こなたを拾うことなんてできないのだから。 こなたは私のことをただの親友だと思ってくれているだろうけれど、私にとってこなたはそうじゃない。恋心を隠したままのルームシェアなんて、上手くいかないに決まっている。 「あのなぁ、つかさはともかく、弁護士や医者なんて当分の間稼ぎにはならないわよ? インターンやら法科大学院やらあるし、そこまでスムーズにいけるとは限らないし、っていうか、そもそも大学受かるかどうかわかんないし……」 「自分で云ってるうちに段々不安になってきちゃったかがみ萌え」 「う、うっさい!」 「まあまあ、少しくらい回り道しても大丈夫だよ。かがみがちゃんと稼げるようになるまで待っててあげるからさ」 「ほう、それはお気遣いどうも。――っておかしいだろ。なんであんたがそんな偉そうなんだよ」 「えー? もうホントかがみは細かいな。一体なんて云えば満足なのさ」 「まずはその寄生しようっていう根性からなんとかしろよ」 「だが断る」 「断んな」 ――どうしよう。 いつもみたいなこなたの憎まれ口に、いつもみたいに突っ込んで。 そんないつも通りの日常に、私は胸の中にわき上がる感情を抑えきることができなかった。 ――楽しい。 こうやってこなたと二人で話しているだけで、涙が出そうになるほど楽しい。 ちょっとすねて見せる顔、だらけきってのほほんとした顔、隙あらばいじり倒そうとして厭らしい笑みを浮かべた顔。ぽんぽんと弾む会話。くるくると回る二人。きらきらと輝く私たち。 一瞬一瞬が永遠で、一言一言が宝石のようだった。 どうしてこなたは、こんなに私のことをわかってくれるのだろう。どうしてこなたは、こんな風に私の張り詰めた心を解きほぐせるのだろう。こなたと話しているだけで、私の中で凝り固まっていた受験に対する不安がチョコレートのように溶けていき、そうして未来に対する甘い期待へと形を変えていく。 こなたとこうやってくだらない話をしているだけで、どんな場所もあの淡い期待に満ちた放課後の教室になっていく。 まだいくらでも時間があって、これからどんなことだってできるはずの、あの無限の可能性に満ちた放課後の一時に。 そうしてこんなに楽しいと、どうしても私は願ってしまうのだ。 こんな関係がずっと続いて欲しいと。こんな時間が永遠であって欲しいと。 ――けれど、そんな願いが叶うはずもなくて。 案の定、そんな幸せはそのすぐ後に砕け散ってしまったのだった。 ※※※ お店を出て、二人で駅に向かって歩く。沈み掛けた夕陽が、太宮の街をオレンジ色に染めあげていた。それはまるで子供の頃の思い出にあるような光景で、私は昔のように家に帰らないといけないのを寂しく感じていた。 けれど今私の隣にいるのは、昔とは違って、つかさでもなければお父さんでもない。高校生になった私にとってなにより大切な人、泉こなたと私は歩いていく。 ――手を、繋いでみるというのはどうだろう。 私がそんなことを考えたのは、子供の頃、よく家族とでかけたときに手を繋いでいたことを思い出したからに他ならない。 仲が良い女友達同士なら、手を繋ぎながら歩くことはおかしなことではない、と思う。今でもつかさとは時々そうして歩くのだし、クラスでも特に仲がいい子たちは手を繋ぎながらトイレにいったりする。だから、それは決していやらしいことではないはずだ。 私は、少しだけたがが緩んでいたのだろうと思う。普段の私なら、そんな行動を自分から起こすはずもなかった。もしそのときそうしていたなら、またさんざんっぱらこなたにいじり倒されて、未来永劫ネタにされ続けていたことだろう。 けれどそのとき私がこなたと手を繋がなかったのは、私が思いとどまったせいではなかった。 意を決して差し出した私の手は、こなたの手を掴むことはできなかったのだ。その手が掴んだのはただ空気だけで、私はこなたに触れることができなかったのだ。 「――こなた?」 さっきまで隣から聞こえてきていたこなたの跫音が、今はもう聞こえてこない。一緒に隣を歩いてきたはずのこなたは、そのとき一人で立ち止まっていた。 ――信じられない物を見たように、大きく目を見開いて。 振り返った私が見たのは、こなたのそんな表情で。私はこなたがどうしてそんな顔をしているのか訝って、その視線の先を追ってみる。 駅前の、時計台の前に。 さっきまで待ち合わせをしていたのだろうか、そこに一組の男女がいる。オフホワイトのロングコートに桜色のショールを合わせた小柄な女の子と、制服にコート姿の、眼鏡を掛けた背の高い男の子。おそらく、私たちと同年代だろう。 そうしてその男の子も、こなたと同じように目を見開いて、私たちのことをみつめているのだった。 ――いや。 見ているのは私たちのことではない。 ただ、こなたのことだけをみつめているのだ。 「――こなた?」 さっき私が云ったのと同じ言葉を、その人が口にする。低くて深い、よく響く声だった。一瞬私は、『こなた』というその三音にどういう意味があったのか、それがよくわからなくなってうろたえる。その言葉は、こんな風に通りすがりの男子高校生の口から聞こえてくる言葉ではなかったはずだ。 けれどその言葉は、疑いようもなくこなたのことを指していて、私の隣にいるはずのこなたのことを呼んでいて。それに気がついたとき、私は理不尽な腹立ちがわき上がってくるのを感じていた。 なんで、この人はそんな口調でこなたのことを呼ぶのだろう。 どうして、そんなに哀感に満ちた口調で、私が大好きな人の名前を呼ぶのだろう。 私はそれが腹立たしくて、その人のことを睨みつけていたはずだ。 「――くん」 けれど私の後ろから聞こえてきたこなたの声は、同じような哀調を帯びていて。 私はそのとき、私の願いが砕け散ったことを知った。 振り向けない。 私はどうしても振り向けない。 もし振り向いて、こなたの顔を見てしまったら、きっと何かが終わってしまう。ささやかな願いだけではなく、もっともっと大切な何かが。 だから私は振り向くこともできず、彫像のようにその場に立ちつくしていた。男の子と一緒にいたロングコートの女の子と同じように、なにも云えずにその場に立ちつくしていた。 夕陽に照らされて、長く伸びた影が四人分。 ティッシュ配りのサンタクロースが、そんな私たちを不思議そうに眺めているのだった。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 『4seasons』 冬/きれいな感情(第五話)へ続く コメントフォーム 名前 コメント これって、まさかあっちとつながるのか!? -- 名無しさん (2008-06-10 01 45 21) 凄く構成に気を遣ってると思うわけですよ。こういう読み方良くないかもですけど。 -- 名無しさん (2008-06-09 13 16 28) まさかの魔法使い(仮)?… -- 名無しさん (2008-06-09 11 40 13) このシリーズを読んだ後かがみのキャラソン聞くと泣きそうになる -- 名無しさん (2008-06-09 10 07 48) なんなんだ、この急展開は… -- 名無しさん (2008-06-08 19 06 18)
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『4seasons』 秋/静かの海(第四話)より続く ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― §8 「あ、ほらほら、ハチクロが一週遅れだよ。こういうの見ると、ほんと地方にきたって感じが するよね~」 カチカチとリモコンを弄っていたこなたが、テレビに映し出された番組を見て云った。 「へー、ちょっと意外。あんたハチクロなんて見てたんだ」 「あれあれ? 私、何気になんか馬鹿にされてる?」 「いやいや。だってあんたが好きなのって、男の子向けの漫画とかアニメばっかりじゃないの」 「むー、失礼だなぁ。普通に原作漫画好きだよ? これでも一応おにゃのこなんだから、 少女漫画だって読むもん。ほら、CCさくらとか?」 「CCさくら……確かに少女漫画だけど、なんか違くないか?」 「じゃ、セラムンとか?」 「いつの時代の少女だよ」 「なにを云う、ほんの十五年前じゃないか」 「だから幾つなんだおまえは」 「伊代はまだ、18だから~♪」 「ええと、すまん、何のネタだそれは」 「センチメンタル・ジャーニーだよ。松本伊代のデビュー作、一九八一年の。知らないの?」 「知るか! だから幾つだよおまえ!」 「シュビドゥバ♪ シュビドゥバ♪」 「だーー!! もう歌うな! 踊るな! はしゃぐな! 回るな! っていうか、勉強しろ!!」 「ぶーぶー。せっかく遠くまできたんだから、一晩くらいいいじゃん。ほんとかがみって 真面目なんだから……」 なんて文句を云ってはいたけれど。 ちゃんと座って勉強を再開するのだから、こなたも随分真面目になったのだ。 ホテルに戻った私たちは、着替えをすませて楽な格好になると、早速ノートと参考書を 拡げて勉強を始めたのだった。元々泊まりの晩もさぼらずに勉強をするという約束だった からついてきたのだし、その点こなたに否も応もないはずなのだ。今のはちょっとふざけて みせただけだろう。 ――どちらかというと、私の方が気持ちを切り替えるのに大変だった。 泉家からの帰り際こなたが無邪気に語ったすぐる君絡みの話は、私の心を覆う鎧にひびを 入れてしまっていた。『かがみは私の嫁』。こなたはよくふざけてそう云うけれど、このときほど その言葉が毒を孕んで突き刺さったことはなかった。 なんと云っても、そこにはきっとこなたの本心が篭められていただろうから。 こんなところまで連れてきたのだ。母親のお墓参りにつきあってと、実家まで連れてきたのだ。 こなたが私に好意を抱いていないはずがない。大事に思っていないはずがない。 こなたはそんな好意をあからさまに示してくれていた。そうしてきっと、そのことで私が喜ぶ だろうと思ってくれている。 その気持ちが心から嬉しくて、だからどうしようもなく辛いのだ。 こなたが私に抱いている好意は、私がこなたに抱いているものとはまるで違うものなのだから。 ホテルの部屋に戻って、最初にサニタリースペースに向かった。こなたと二人の部屋で、 こなたと二人の夜を過ごす前に、立ち直らないといけなかった。この旅行を、なんとしても いい思い出にするんだ。出発前に抱いたその気持ちは今も減ずることなく抱き続けている。 パウダールームの鏡に写った自分の顔をにらみつけて、気合いを入れた。昔ならこんな ときには顔を洗ったりしたものだけれど、化粧が崩れるからそんなことはできなかった。 女であることが少しだけ恨めしく感じる瞬間だ。 大丈夫。私は隠し通すことができる。そうだ、一番大切なことを思いだそう。私はこなたが 好きだから、こなたを悲しませたくはない。 それは単純な二段論法で、単純だからこそいつも私を救ってくれる魔法の言葉だった。 道を見失いそうになったとき、感情の隘路に嵌りこんでどうしたらいいかわからなくなったとき、 その言葉を思い出せばいつでも元の自分に戻ることができたのだ。 ――サニタリースペースから出てきたとき、私のつけた仮面はすっかり修復できていたはずだ。 「長かったね、さては大だな!」 なんて子供みたいに喜んで云ったこなたに、即座に枕を投げつけることができたのだから。 「ふわぁあああ、疲れたぁぁ」 そう云って伸びをすると、そのままこてんと横になるこなただった。二時間ほど勉強に 集中していて、もういい時間になっていた。 「へー、よくまとめられてるじゃないの」 テーブルに開きっぱなしになっていたこなたのノートを眺めて云った。 「ま、ねー。やっぱりさ、書いていかないと覚えらんないよね」 「うんうん。……って、なにやってんのよ」 横になっていたこなたはもぞもぞとテレビの方にはいずっていき、投入口にかしゃんかしゃんと コインを入れていた。 「ん? むふふ、ご・ほ・う・び」 猫口になってにまにまと笑うこなたをみているうちに、厭な予感がわき上がってきた。 案の定「ぽちっとな」なんていいながらこなたがリモコンを押すと、テレビに映し出されたのは 巨大なモザイクの塊で。 胸が悪くなるような媚態に塗れた艶声が、大音声で響き渡った。 「こ、こここここらーー! なんて番組見るんだあんたは!」 「えー、いいじゃん。これが楽しみでホテル泊まってるのにー」 ニヤニヤと目を細めて笑うこなたの目の前で、裸の男女があられもない格好で腰を振り合っている。 「うわぁ、そんなことしちゃうんだ」 こなたが少しだけ頬を染めて呟いた。 その光景をみて、全身の血が沸騰するような劣情を感じた。桃色の靄が体中の毛穴から吹き出して くるような感覚。 これは危険すぎる。 いつも通りのいたずらの延長なのだろうけれど、今の私には洒落にならなかった。 「こら! まじでやめろって、リモコン渡せ!」 「やだよーだ。お金入れてるんだからもったいないじゃん」 リモコンを高く上げてとられまいとするこなたに、私は飛びかかった。 「だー! もう怒るぞ本当!」 「ぷくく、かがみ顔真っ赤だー。本当は興味あるんでしょ?」 こなたは相変わらずすばしっこかった。 つかもうとした腕からするりと逃れ、体重で抑えこもうとしてもバランスを崩されて気がついたら 転がされている。 跳ねるように動くしなやかな身体。それに合わせてこなたの髪がひるがえる。 ひらり。 ひらり。 青い髪がひるがえる。 それはまるで床に広がった海にも似て。 その海の間に間にちらほらと、こなたの楽しそうな笑顔がかいま見える。 小さくあがる嬌声。息を荒げるこなたの吐息。私より少しだけ高い体温。 気がつくと、こなたの身体が私の下にあった。 視界をいっぱいに占めるこなたの顔。ほんの少し顔を下げるだけで、触れあってしまいそうな唇。 楽しさを湛えてきらめいた青竹色の瞳。頬にかかる甘い匂いの吐息。額はほんの少し汗ばんで、 はりついた髪の毛が肌に流麗な曲線を描き出している。触れあう足の、すべすべとした感触。 そのしなやかな弾力にみちた肢体。そして抑えつけた私の胸を押し返す、激しい運動にはずむ こなたの胸。小さいけれどちゃんと柔らかく膨らんだ、こなたの女の子の部分。 テレビから流れるバックグラウンドノイズ。 それは今にも気をやりそうな女性の艶声に満ちていて。 ぬるりと、下半身で何かが零れおちた。 魔法の言葉は、もう届かなかった。 頭の中は桃色の靄に包まれていて、思考が上手く結べない。 あと少し、ほんの少し顔を突き出すだけで、こなたの唇を奪える。 艶めいて、誘うようにぱくぱくと開閉するその桜色の唇を。 私はそのとき、本気でこなたにキスをしようとしていた。 事実そうしようと首筋に力をいれた。 そのときだった。 壁から甲高い電子音が鳴り響き、その警報のような音が私の動きを止めたのだ。 「あ、お風呂わいた」 何事もなかったように快活に云って、こなたはテレビの電源を切ったあとするりと私の下から 抜けだした。そして壁に設置されていた全自動風呂のパネルに歩いていき、アラームを止めたのだった。 「かがみ、先入る?」 振り返って訊ねるこなたに、私は霧散した理性を必死でかきあつめて、普段通りの口調で答える。 「あんた先入っていいわよ」 「ん。それとも一緒に入ろっか?」 なんて嬉しそうに目を細めて云うこなたに「入るか!」と怒鳴って、私はちらばった筆記用具を かきあつめていった。 顔を背けながら。 お風呂場にこなたが消えたあと、私はその場にうずくまって泣き続けた。 §9 ただ月だけが見下ろしている。 この部屋は、月明かりに満ちて夜の海に浮かぶ難破船のようだった。 カーテンがあけはなたれた窓からは、鏡のように凪いだ静謐な海と、ただ中天に浮かぶ 満月だけがみえている。 月の光は死んだ光なのだということを思う。 自ら輝くことなく、太陽の輝きを反射しているだけの存在。何も生み出せず、惑星も衛星も ひきよせることができず、ただ地球と太陽に依存して在るだけの存在。 そんな月の雫を浴びて佇む私も死人のように青醒めている。 あの辺り、餅つきをする兎の胴体の辺り、そう、あそこが静かの海だ。 アポロが着陸した海だ。 人は、そんなことすらなしうるのに。人の営みは宇宙を渡ることすら可能にするのに。 私はこんなところでこんな海に惑っている。 そんな自分の余りの小ささに、自嘲しかでてこなかった。 眠れようはずがなかった。 なんでもないふりをしてお風呂に入って、たわいないお喋りをして、おやすみといってベッドに 入り込んだけれど。 目はどこまでも冴えていて、身体は熱病に罹ったように火照っていて、思考はぐるぐると 同じ所を回り続けていた。 ――私は、こなたを裏切ろうとした。 こなたの意志に反して、こなたの思いも無視して、一方的に奪うようにキスをしようとした。 最低だ、私は。 あのときお風呂のアラームが鳴らなかったらどうなっていたことだろう。それを思うと 背筋が凍る思いがするのだった。 背後からはすーすーと規則正しい寝息が聞こえてくる。まるで安心しきったようすで、 満ち足りた笑顔を浮かべながらこなたは眠りについている。 その信頼が悲しかった。その充足を哀れに思った。 私は同性だけれど、だからと云ってこなたが安心していいような存在ではないのだ。 あのときの様子を思い出す。私の下になって、息を荒げていたこなたの様子を思い出す。 顔を赤らめることもなく、恥ずかしがることもなく、ただ楽しそうに笑っていた。友達なら それが当たり前で、同性ならそれが普通の反応で。わかっていたことだけれど、あらためて こなたが私にそんな感情を抱いてはいないことを思い知るのだった。 布団をはだけ、股をおっぴろげてすーすかと眠るこなたを見下ろして思う。 本当に好きだ。 どうしても、この子が好きだ。 ――こんな感情なんて、なければよかったのに。 そうしたらこんなに惑うこともなく、ただ無心でこなたの一番の親友でいられたのに。 そうできていたら、私もこなたもどれだけ救われたことだろう。 顔をそむけながら布団をかけなおして、浴衣から普段着に着替えて部屋を出た。せっかく こんなところに来たのだから、散歩でもしてこようと思ったのだ。少し身体を動かせば眠れる ようになるかもしれない。そう思った。 そっとドアを閉めると人心地ついた。こなたの姿がみえなくなることで、やっと私は安心する ことができたのだ。 「――かがみちゃん?」 突然聞こえてきたその声に振り向くと、月明かりに照らされた廊下の先、海を見下ろす ラウンジに、そうじろうさんが座っていた。 くゆらせた紫煙が、月光を浴びて銀の糸のように中空をただよっている。逆光でできた 影に閉ざされて、そうじろうさんの表情はよくみえない。手に持っていたウィスキーグラスの中で、 氷がピシリと音を立てて割れた。 「……小父さん?」 「どうした、こなたのいびきがうるさくて眠れないかな? あいつ、そんなにいびきかかないと 思ったけど」 「いえ、そういうわけじゃないんですけど……」 ふと、小父さんは泣いているのかもしれないと思った。 声はしっかりしているし、涙がみえたわけでもないのだけれど、不思議とそう思った。 元々どうしても散歩にいきたかったわけじゃない。ただ少しこなたの傍から離れたくなった だけ。気持ちを切り替えたかっただけなのだ。 だから、ここで小父さんと話をしていくのもいいなと思った。訊きたかったこともあるし、 こんな夜に尊敬できる大人と差し向かいで話をするというのも、きっと素敵なことだと 感じられたのだ。 私がそうじろうさんの向かいのソファに腰を下ろすと、小父さんは薄く笑ってウィスキーを 差し出した。 「いえ、未成年ですから」 そう云って断ると、小父さんは声を立てて笑った。 「はは、やっぱりかがみちゃんは真面目だな。こなたの奴は目を輝かせながら一息で飲み込んで、 盛大にむせてたっけ」 「……それ、いつくらいのお話ですか?」 「ん、中一だったかな。初めてこっちにつれてきた時だ」 「それは……。飲んだことがなければ子供は飲んじゃいますよ。私だって、好奇心にかられて 飲んでみたことはありますし」 「へえ、優等生のかがみちゃんでも、そんなことあるんだな」 そう云ってわざとらしく驚いてみせる小父さんだった。 手にもっていたタバコの火がフィルター近くまできている。小父さんはそれに気がつくと、 長く伸びた灰を灰皿に落として火を消した。 「それは……ありますよ。タバコだって、一応。っていうか私そんなに優等生じゃないですって。 こなたを基準にされても困りますから」 「はははっ、違いない。あいつに比べたら誰だって優等生にみえるか」 そう云ってそうじろうさんは、壁に掛かっている時計をちらと見上げた。 私もつられてそちらを見上げる。 三時四十分。さすがのこなたでも、普段なら起きているはずもない時間だろう。 「十一月二十三日、四時五分」 「――え?」 ぽつりと漏れ出たおじさんのつぶやきに、私は訊ね返す。 「十八年前、あいつが逝った日時だよ」 しみじみと云って、ウィスキーを一口含んだ。 そういえば今日は十一月二十三日だった。普段のお墓参りはその前後の休日のいつかに くるという話だったけれど、今年は丁度命日にくることができたのだ。 「――あ、それで。……ごめんなさい、お邪魔でしたか」 「いやいや、とんでもない。かがみちゃんさえよければ、できれば一緒にいて欲しいくらいだよ。 あいつも喜んでくれるだろうさ。娘にこんな大切な友達ができたことをね」 その言葉は照れくさくて、そして少しだけ後ろめたい。 「こなたは、一緒に迎えないんですか?」 「ん。時間まで云ったことはないな。なんていうか、こなたにとってあいつは最初から亡き者だった だろうし。四時五分は、逝くところを見届けた俺だけに意味がある時間なんだな」 ふと、十八年前の光景を想像する。 どことも知れぬ、真っ白な病室で。 それよりなおいっそう白く、青ざめた蝋のような顔色をしたかなたさん――そのイメージは 私にとってこなたに他ならない。 そっと瞳を閉じたこなたは、かなたさんは、もう二度と動くことはない。どんな箇所の、 どんな小さな動きさえ、もはや二度とみることはかなわない。 その瞬間に永遠に失われて、決して取り戻すことはできない何か。 それまで生きてきた迷いも、努力も、誠実さも、夢も、思い出も、愛情も。すべて根こそぎ 消え失せる、完全なるフラット。 それが死だ。 そのとき私は、そんな死のイメージにとらわれて、少しだけ涙ぐんでいたと思う。 「……ありがとう」 私をみつめて、小父さんは優しく云った。なんだか同じことをこなたにも云われた気がする。 「……いえ、そんな……。なんだかかなたさんのことを勝手に思い描いてしまって。そんなこと 本当はしちゃいけないと思うんですけど……」 「いや……。それもあるけどな。俺がお礼を云ったのは、今生きているこなたのことだよ」 「え?」 「こなたは明るくなったよ。陵桜に入って、かがみちゃんやつかさちゃんやみゆきちゃんが 友達になってくれて。今日だって、こんなところまで来てくれてなぁ」 泣いているように見えたのは錯覚だったのか。小父さんは意外なほどさばさばとした表情で、 こなたの話を続けていく。 「それまでが暗かったってわけじゃないんだけどな。根っこのところでは変わってないと 思うんだが、前までは周りの状況に合わせて的確に演技をしていくようなやつだった」 「……そうなんですか」 それは、前から思っていたことではあった。こなたのバランス感覚の高さは、例えばまだ 仲良くなる前のみさおやあやのに対するしゃべり方や、みなみちゃんやゆたかちゃんと一緒に いるときの表情などからもうかがい知れた。どんな状況でも波風を立てず、水のように表情を 変えて自然と溶け込むあの如才なさ。 「それが、場の雰囲気を一変させるようなオタクな発言も平気でするようになった」 「……それ、子供っぽくなったってことなんじゃ……」 「ははっ、そうかもしれないな。でも、子供っぽくない子供よりは安心できるんだよ。無理して 作った仮面をみせられるよりはね」 そう云ってちらりとこちらをみつめる小父さんの視線は、なにやら言外の意味を含んで いるようにも思えて、背筋がぞわりとする。 まさか。いや、そんなはずはない。 いくらなんでも、小父さんと顔を合わせて話したことなんてごくわずかだ。そんな時間で 私が被っている仮面を見破れるはずもない。こなたにだって隠し通せているのに。 「――小父さんは!」 気のせいだとは思うのだけれど、ごまかすように云った私の言葉は、つい語気が荒くなって しまっていた。 「う、うん?」 そうじろうさんはきょとんとした顔で目をぱちくりとしている。してみるとやはり私の気の回し すぎだったのだろうか。でも、云いだしてしまったからには、話を続ける他はなかった。 「そ、その。かなたさんが亡くなって……でもお一人でこなたを育てて……その、偉いと云うか、 どうやって立ち直ることができたのかとか……」 何を云っているんだ私は。 確かに、かなたさんが亡くなったあと小父さんがどうやって前を向くことができたのか、 訊きたいと思ったけれど。そんなことは普通直接訊くようなことでもないし、なによりなんで そんなことを訊きたいのかと不思議に思うだろう。 けれどそうじろうさんは、面白いものをみたとでもいうように興味ぶかげな表情を浮かべながら、 淡々と喋りだした。 「うーん、そうだなぁ。正直云うと、立ち直ろうと思う暇すらなかったっていうのが本当だな」 「……というと?」 「とにかく俺が動かないと、乳飲み子のこなたが死んじまうからさ。必死だったよ。ひたすら ばたばたばたばたしてて、気がついたらそれが日常になっていたな」 「そうか……そうです、よね」 「当時俺とゆきは東京に出ていて、なんていうか、俺だけじゃなくてゆきも色々あったんだよ。 親父はかんかんになって片っ端から勘当を云い渡すは、お袋はそんな親父に逆らってこなたの 面倒を見に東京まででてきたりして、またそれでぐちゃぐちゃになってさ。まあ、今思い出すと 冷や汗がでるよ。本当にガキだったんだ、俺は」 自嘲するようにそういって、グラスを傾けるそうじろうさんだった。 こなたのお父さんだからと、ついなんでもできる大人のように思ってしまうけれど。考えてみたら こなたが産まれたときこの人は確かまだ大学生で。二十代の前半だったと聞いた。してみると、 今の私とそう大きく歳が違うわけでもないのだ。これから先の数年で私がどう変われるのかは わからないけれど、少なくともそれで人の親になれる覚悟が身につくかというと、到底そうは 思えなかった。 「でも……」 「ん?」 「あ、いえ、生意気なことを云うようですけれど。そうじろうさんは、こなたをあんな子に 育て上げることができたんですから……その、それは素晴らしいことだと……」 「んー? ふふ、あんな子っていうのはあれかな。ツンデレツインテ萌えーとか云って かがみちゃんの髪をひっぱって遊ぶような子っていうことかな?」 「そ、そうじゃなくて! っていうかなんでそんなこと知ってるんですか!」 「お、当りか。まあ、あいつがやりそうなことなら大体わかるよ。俺がしたいことと変わんない からなぁ」 そういってカラカラと笑うそうじろうさんだけど、要するにそれは、目の前のこの小父さんが 私の髪を引っ張って遊びたいといっているようなもので。 私は少しだけ、ソファーを後ろにずらした。 「じょ、冗談だってばかがみちゃん、やだなー」 「……なんで棒読みなんですか」 そう云いながらも、なんだかそんなやりとりが可笑しくて笑ってしまった。そうじろうさんも 苦笑しながらウィスキーをグラスに注いでいる。 「こなた、優しい子ですよね。普段はあんなだけど、それでも学校のみんながこなたのことを 好きなのは、みんなそれを知ってるからだと思います」 「――うん、そうだな。もう少しだけ自分のことも大事にしてくれると安心できるんだけどな」 「それは……。私もそう思います。それがなんだか悔しくて、つい色々口出してしまうんですよね……」 「うん。そのあたりはかがみちゃんたちに任せるよ。……本当にあいつはいい友達をもった。 俺があいつにしてやれることなんて、もうなにもないんだな」 「そんな……私たちもまだ子供ですから、まだまだ大人の手助けが必要ですよ」 私がそう云うと、そうじろうさんはなぜか薄く笑いながら、グラスのウィスキーを飲み干した。 グラスを振ると、残った氷がカラカラと音を立てる。 「そうかな? 俺が家を出たのは大学入学と同時だったよ。こなただって、そうしてみて もいいんじゃないかな」 「――え?」 それは、なんだか不思議な言葉だった。かなたさんが亡くなって、その忘れ形見である こなたをずっと育ててきて。それこそがそうじろうさんの生きる糧だったのだと、そう理解していた けれど。 「こなたが家を出て、寂しくないんですか?」 そうじろうさんの云い方は、そう云っているように聞こえたのだった。 「まぁな。なんていうか、必ずしもこなたが近くにいる必要はないんだよ」 混乱して言葉を継げられない私に、そうじろうさんはいたずらっぽく目を光らせながら 重ねて云った。 「たとえどこにいたとしても、こなたがこの世のどこかに存在してると信じられたなら、 俺は生きていけるんだな」 その言葉に、私は一瞬はっとする。 ――それはなんだ。 その境地は一体なんだ。 私は、何も云うことができずに絶句していた。 「そりゃ、近くにいてくれたら嬉しいし、俺が望むような人生を送ってくれるにこしたことは ないけどさ。でもなんていうかな、こなたは神様みたいなもんなんだ」 「か、神様? それってその、“俺が新世界の神になる”的な?」 混乱した頭で私がそういうと、そうじろうさんは「なんでデスノネタなんだ。かがみちゃんも こなたに染まってきたかな」なんて楽しそうに笑うのだった。 それが堪らなく恥ずかしくて、顔に血が昇っていくのを感じていた。私の顔はきっと耳まで 赤く染まっていたことだろう。 「天にまします我らが父よ、の神だよ。クリスチャンがあらゆる森羅万象に神の御業をみ て、直接その姿を偶像としてみなくとも神を身近に感じられるみたいにな。俺にとってこなたは、 そういう存在なんだよ」 ――ただ、在ればいいんだ。 そう云った。 それはまるで信仰のようだと私は思った。 家の職業柄、私にとって信仰と神は身近だ。 不可知論者の私は、神の実在を信じることはできないけれど。それでも信仰という物が この世界を受容するための方便として機能してきた、その功績を否定することはできなかった。 どんなに辛い目にあっても、どれだけ悲惨な運命に弄ばれても、ただ一言“御心のままに”と 云えば、その全てに意味をもたせることができる、そんな人生を受け入れることができる。 この世のどこかにこなたがいるのなら。 こなたがいる世界のことならば。 そうじろうさんは、こなたがそういう存在なのだと云っているのだった。 それは、なんという強さなのだろうと思う。なんという愛し方なのだろうと思う。 私にはそんな風にこなたを愛することはできなかった。 そばにいて欲しいと願った。 顔を見たいと願った。 触れたいと願った。 だから、傷つけた。 だから、裏切りそうになったのだ。 でも、そうじろうさんは違う。 こなたに何も求めない。こなたに何も願わない。こなたのどんなことも受け入れて、なおそれを 世界の中心において考える。 ――敵わない。この人には敵わない。 敗北感に押しつぶされそうになった私に、そうじろうさんはぽつりと云った。 「人の親なんて、多かれ少なかれそういうもんだよ。きっとただおさんもね」 そっとグラスをおいて、窓の外に視線を向けた。 海が広がっている。 涯もみえぬほど、世界を覆い尽くすほど、広い海が。 茫漠としてやがて空へと繋がっていく、暗い海が。 ――なんて広くて、なんて深くて、なんて暗いのだろう。 その海のあまりの豊穣さに、少しだけ眩暈がした。 そのとき、そうじろうさんの浴衣のたもとから、携帯の振動音が聞こえてきた。 手を差し込んで振動を止めると、そうじろうさんはしみじみと云った。 「――四時五分。十八年前の今この瞬間、あいつは逝ったんだ」 その言葉に溢れそうになった涙を隠して、私は黙祷をする。 かなたさんに、こんな思いの全てを伝えられたらと思う。 あなたの娘さんのことを、私がどれだけ好きかとか。 旦那さんが、今もこうしてあなたのことを偲んでいることとか。 この世界のすばらしさとか。 月が綺麗なことだとか。 そんなこと全てを。 でも、それを伝えることは叶わない。 死んでしまった人に、想いを伝えることは決して出来ない。 亡くなってしまった人には、もう二度と出会えない。 それがこの世の理なのだから。 だから私たちは、せめて日々を誠実に過ごすのだ。 この一瞬の命の輝きを信じて。 そっと眼を開けた私を、そうじろうさんは優しい眼差しでみつめていた。 「かがみちゃん」 「――はい」 「辛いかもしれないけれど、こなたのことをずっと好きでいてやってくれないか」 「――はい?」 なぜ、“辛いかもしれないけれど”なのだろう。 そのとき私は不思議に思った。 けれどその意味がわかるのは、それから随分後になってからのことなのだった。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 『4seasons』 秋/静かの海(第六話)へつづく コメントフォーム 名前 コメント もう OVA化するべきですね。 -- チャムチロ (2012-08-14 15 43 02) そうじろうの価値観に絶句。陳腐な言葉だけどすごいと思った -- 名無し (2008-10-13 23 40 36) 一言素晴らしいとだけ書いておこうか -- 名無しさん (2008-08-29 00 40 48) なんかこの人の価値観までも伝わってくる -- 名無しさん (2008-08-13 01 55 17) 神様よ…もう様付けだよ… -- 名無しさん (2008-05-31 19 51 42) 神だらけのこの世界に乾杯 -- 名無しさん (2008-03-13 05 47 08) 神よ・・・… -- 名無しさん (2008-03-11 15 24 50) 敵わねえよ -- 名無しさん (2008-03-11 13 05 10) じれったい二人の関係に毎度ドキドキさせられっぱなしです 次も楽しみにしてます -- 名無しさん (2008-03-11 02 36 28) 泣きそう -- 名無しさん (2008-03-11 00 02 03) 毎回読ませてもらってます凄い楽しんで読んでます!次も頑張ってください -- 名無しさん (2008-03-10 18 36 54) これからのかがみとこなたの関係の移り変わりが楽しみで仕方がない。 -- 名無しさん (2008-03-10 01 44 35) 切ない。悶々とする。ああもう。ああ。楽しみにしてました。楽しみにしてます。うん。 -- 名無しさん (2008-03-10 01 37 12) イヤッホオオオオオ! かがみの一途なところが良くて良くて… 至福のひと時、癒し、正直…たまりません、うん -- 名無しさん (2008-03-10 01 26 21)
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『4seasons』 冬/きれいな感情(第一話)より続く ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― §3 ――ずっと、きれいな人になりたいと思っていた。 男の子は誰でも一度は世界最強を夢見るそうだけれど、女の子は誰でもきれいになった自分を夢見るものだ。 美しくなりたい。可愛くなりたい。そう思って女の子は誰でもいつか鏡の前に立つ。自分の顔の、体のパーツをいちいちあげつらっては、それがきれいかそうではないかと真剣に思い悩んで、他人と比べて落ち込んだりする。 男たちは、それが男にもてたくてやっている行為だと思っているようだけれど、実のところそれは少し違う。勿論きれいな自分を褒めてもらえれば嬉しい。素敵だねと云ってもらえれば嬉しい。けれどそれはただ誰かに褒めてもらうことだけが目的ではなくて、きれいだと思える自分がそこに存在していることが重要なのだ。 だから、例え世界に自分一人だけが取り残されたとしても、私は毎朝身だしなみを整えるだろうし、できるだけ背筋を伸ばして生きようとするだろう。 『誰も見ていないと思っても、お天道さまが見てるんだよ』 改築前の縁側でそう云ったお婆ちゃんは、本当にきれいな人だった。しわくちゃで、背筋が曲がっていて、杖がなければ真っ直ぐ歩くこともできなかったけれど。私の目にはお婆ちゃんの背筋はいつでも凜と天頂に向けて伸びていたし、その眼差しはどこまでも真っ直ぐに前を向いているように見えていた。 人と人とが殺し合い、誰かが誰かと一つのものを奪い合う。そんな時代を生き抜いてきた人だ。女性の社会進出なんて夢のようだった時代に、たった一人で娘を育ててきた人だ。そういう人生を生きてきてなお、お婆ちゃんはきれいな人だった。 私が小学校二年生の頃に亡くなってしまったけれど、その死顔は微笑んでいるように安らかだった。 そんな風に、きれいになりたいと思っていた。 見た目だけではなくて、心も体も清潔に。 たとえばだらしなく過ごしてしまった休日の夜には一日を無駄にしてしまったと落ち込むものだし、本当は間違っているとわかっていることをあれこれと云い訳をしてやってしまったりすれば、あとで必ず後悔するものだ。 そんなことなら、最初からやらない方がいい。そう思って生きてきた。 いつでも誰かが見ていることを意識して、だらしない格好はせず、ちゃんと前を向いて、間違っていることは間違っていると云って、そうしてせめてつかさを護れるくらいには強く。 あの日のお婆ちゃんが、私の目標だった。優しくてきれいで正しくて強い。そんな人間になりたかった。 けれど気がつけば、いつのまにか私は堅物キャラで通っていた。 ドラマや少女漫画でよくある、主人公を目の敵にする融通の利かない委員長キャラ。その作品を読んでいるときには、なんてつまらない人間なのだろうと思っていたはずなのに。いざ口を開けば、私の言動はそんなキャラたちにそっくりだった。 男の子たちにはからかわれることが多かったけれど、それでも私は私が信じる正しくてきれいな行動を取り続けていった。女の子には頼りにされていて友達もよくできたけれど、その反面、男勝りな女の子という扱いを受けることが多かった。他人に自分のことを任せきりで、いつも持ち歩いている手鏡を覗き込んでは男の子にしなを作って媚びを売る。クラスが変わっても大抵一人か二人はいるそんな女の子はいつだって男の子にもてていて、私はなんだかそれが理不尽な気がしていた。 ずっときれいになりたいと思ってきたはずなのに、いつからか私は違ってしまったのだろうか。私は、きれいな女の子じゃないのだろうか。 そんな風に悩んで、自分を変えようと思ったこともある。中学二年になった時のクラス割りは、あまり親しい子とは一緒にならなかったから。私はふと思い立って、委員長キャラを払拭しようとしてみたのだ。あまり自己主張せず、同級生を叱りつけたりするなどもってのほかで、可愛い声と仕草を意識しながらおしとやかに歩く。 けれどそんな試みはすぐに瓦解した。みさおと同じクラスになってしまったのが不運で、そのだらしなさと底抜けの無邪気さとやる気のなさを前にして、私は突っ込みと世話焼きを抑えきることができなかったのだ。 もっとも、あとであやのに聞いたところによると、私のイメージは最初から委員長キャラで首尾一貫していたようで。成功するはずもない無駄な努力をして周囲から失笑を浴びることにならなかっただけ、よかったのかもしれない。 今でもあのときの数週間のことを思い出すと、少しだけ顔が赤らむのだった。 ――ずっと、嫌いだった。 きれいになりたい、正しくありたいと思っているだけなのに、生真面目で攻撃的に見えているという自分。 凛々しくありたい、ぴんと背筋を伸ばして立っていたいと思っているのに、少し好意的な言葉をかけられるだけで、途端に動揺して照れてしまう自分。 そんな自分が醜く思えて、ずっと嫌いだったのだ。 ――あの日、こなたに出会うまでは。 あの春の日に、桜に覆われた空の下でこなたが『ツンデレ萌え』と云ってくれたとき、私の中で何かが変わった。 つい我慢できずにきついことを云ってしまっても『ツンツンモード萌え』と不思議な喜び方をしてくれて。 私がすぐにつかさの元に行ってしまうことを、他の友達は大抵嫌がったものだったのに。こなたは『双子キャラ最高だよ!』なんて云って、二人纏めて一緒に友達になってくれた。 私が照れて頭の中が真っ白になってしまったときには、そんな私を楽しそうにみつめては『ツンデレキター!』なんて涙を流しながら喜んだ。 私が何をしても、どれだけ恥ずかしいことをしても、後で思い出して落ち込んでも、自分で自分のことを嫌いになってしまっても。 その全てを、こなたは笑いながら受け入れてくれた。『萌え』という一言で、私の全てを肯定してくれた。 だから、私はやっと自分のことを誇れるようになったのだ。 こなたに許されたことで、私はずっと憧れていたきれいな自分に、初めて出会えたのだ。 こなたがいるだけで、私はきれいになれる。 でも、それではこの感情をどうすればいいのだろう。 こなたのことが好きだという、このやり場のない感情は。 口が裂けてもこなたに伝えることができないこの秘められた感情は、こなたに許されることもなく、私の中で渦巻いているのだ。 あの秋が過ぎて、私は少しだけ落ち着いた。 以前みたいに、こなたのことをもっと知りたいだとか、こなたに自分のことをもっと知って欲しいだとか、そう思って焦ることもなくなった。 それはこなたの故郷を訪れて、こなたを産みだしたルーツに触れることができて、簡単には切れることがない絆を結べたと感じたからかもしれない。恋という感情が互いの未知な部分に抱く憧れだと定義するならば、それはすでに恋心とは呼べないものだろう。 けれど、それでもこなたを好きだというこの感情は、消えることなく残っていて。 それどころか、以前にも増して強く燃え上がっていて。 そうして私はそれが醜いと感じている。 他人の身体を思うさま貪りたいと思っている女の子は、到底きれいとは云えないだろう。 では、その感情をどうすればいいのだろう。 もしそれをこなたに云ったならば、きっとまた泣きゲーがどうの百合アニメがどうのとひとしきり世迷い言を並べ立て、そうして最後に『でもそんなかがみ萌え』と云っていつもみたいに受け入れてくれるだろう。 私には醜く思えるそんな感情も、『それも萌え要素なんだよ』と云って全てそのまま受け入れてくれて、そうしてそれを驚くほどきれいな物に変えてくれるだろう。 けれど、そんなことが云えるはずもなくて。 だから私は、こうして一人醜い心を抱えて惑っているのだった。 §4 「ただいまー」 階下から聞こえてきた声に、私は慌てて顔を上げた。 一瞬、ここがどこで今がいつなのか、それがわからなくなって混乱する。 けれど次第に意識がはっきりとしてきて、ここが自室の机の上であることに気がついた。私は机に向かったまま眠ってしまっていたのだった。 慌てて時計を見たら、まだ家に帰ってきてから一時間ほどしか経っていない。寝ていたのはせいぜい十分くらいだろう。 夜遅くまで勉強するのはいいとして、それで居眠りしてしまったり眠さで効率を落としてしまったら意味がないじゃないか。そんな風に反省していた私の耳に、トントンと階段を上がってくる跫音が聞こえてきた。そうだ、ただいまというつかさの声で目が覚めたのだ。 急いで身支度を調えて、挨拶をしようと立ち上がったとき、コンコンとドアをノックする音がした。 「あ、おかえり、どうぞー」 カチャリとドアを開けて入ってきたつかさは、外が寒かったのか、少しだけ頬を赤くしていた。それがつかさの顔立ちの可愛らしさを引きだしていて、私は改めてこの妹のことをきれいだと思う。 「ただいま。ニット買ってきたよ~」 「おー、ありがとう」 そう云った私の顔を、つかさはまじまじと見つめていた。そうして突然破顔したかと思うと、口元に手を当てておかしそうにころころ笑い出した。 「な、なによ急に……。私の顔、なんかついてるか?」 「あはは、お姉ちゃん居眠りしてたでしょう?」 「えっ、あれっ、な、なんでわかっちゃったの?」 「ほっぺに数式が書いてあるよ。……三角関数?」 「はうっ」 慌てて卓上鏡を見ると、居眠りをしていたときにノートの上に乗ていた左のほっぺたに、シャーペンで書かれた文字がくっきりと写っているのだった。 「だ、誰にも云わないでよこんなこと」 そう云って、鏡を見ながら手でぐしぐしと頬を拭った。鏡の中から見返してくる私は頬を真っ赤に染めていて、やっぱり私はそれがみっともないなと思う。 「あはは、云わないよ。それよりお姉ちゃん、こっち向いて」 「ん?」 振り向いた私の頬に、冷たい感触が当てられた。つかさが、持っていたウェットティッシュで、私の頬を拭いてくれたのだった。 「あ、ありがと」 頬に感じるウェットティッシュの感触はなんだかとても心地がよかった。そうして丁寧に私の頬を拭くつかさも、これ以上なく嬉しそうな満面の笑みを浮かべていて。 私は、こんな時間がもう少し続いてもいいかな、なんて思っていたのだった。 ※※※ その夜のことだった。 「ねえつかさ、聞きたいことがあるんだけど、今平気かな」 「あ、うん、大丈夫だよ」 振り返ったつかさは、鼻と上唇の間にシャーペンを挟んだ面白顔をしていた。 つかさの部屋は、ベランダに通じる大きな掃き出し窓があるせいか、私の部屋よりも少しだけ寒く感じた。寒くなってきてからカーテンを厚手の物に取り替えたのだけれど、それでも忍び寄る冷気には勝てないようだった。丹前と膝掛けと厚手のロングソックスで完全武装した面白顔の女子高生の姿は、あまり他人に見せられないと思う。 「ここがちょっとわからないのよね。教えてもらえる?」 顔はとりあえず無視して私が取り出したのは、勿論問題集でもなければノートでもない。さすがにつかさに勉強を教わるほど、まだ私は落ちぶれてはいないつもりだった。 「あれ? 手袋なの?」 「う、うん、そうだけど……」 「ゆきちゃん用のも、みさちゃん用のも、あやちゃん用のも、ミトンだったよね?」 「そ、そうだけど、ほら、なんとなくミトンは慣れてきたからさ、最後に手袋にも挑戦してみようかなって思ってね?」 「あ、そうだよね、挑戦してみるのは大事だよね」 「……なんかひっかかる云い方だな」 にこにこと笑っているつかさには何を云っても通じなさそうで。私は精一杯憮然とした表情を浮かべながら、編みかけの手袋をつかさに差し出した。 「あ、ここはほら、指の股の部分が必要だから増し目をして、あとから拾っていけばいいってことだよね。指のところは普通に輪編みで」 そう云って、つかさは目の前で少しだけ実演してみせてくれた。 「うわぁ、さすがに手の動きが違うわね」 「え、えへへ、でもこんなのやってれば慣れるし」 照れたようにそう云って、つかさは進めたところを自分でほどいてから返してくれた。私が自分で編まなければ意味がない。つかさもそれをわかっているから、何も云わずに元に戻してくれたのだ。 「こ、こう?」 「あ、ちょっと違うかな? そこは右の針で奥から手前に、こう、こうやって」 ベッドの上でたどたどしく編み棒を動かす私を、つかさはやきもきした感じで手を動かしながら見ていてくれた。 「こうかな?」 「やん、違うよー、そこはこうやって左の針に移すんだよー」 「あー、もう、難しいなっ」 そう云ってかしかしと頭を掻く私だった。 そうしてつかさはそんな私を不思議そうな顔でみつめていた。 「な、なによ?」 「……知らなかった。お姉ちゃんって凄く不器用なんだね」 「はぁ? 今更何云ってるのよ。そんなこと、普段私が料理してるところ見てきたあんたが一番よく知ってるじゃないの。何年一緒に生きてきたと思ってんのよ」 「そ、そうなんだけど……なんでだろう。よくわかんないけど、お姉ちゃんだから、できないんじゃなくて、なんかそうする意味があるんだと思ってたの」 「あはは、なぁにそれー。あんた云ってること変だよ? お鍋を吹きこぼしたり、卵焼き焦がしたり、皮むきでどんどんじゃがいもが小さくなってくことに、意味なんてあるわけないじゃないの」 「だってだってっ、わたしにとってのお姉ちゃんって、ずっと憧れの存在だったんだもん。強くて優しくてなんでもできて」 ――それに、すっごくきれいで。 顔を赤らめながら上目遣いに見つめるつかさだった。 私はまさかつかさにそんなことを云われるなんて思いもしていなくて、思わず手にしていた編み棒を取り落としてしまった。ベッドに置いてあった玉巻に編み棒が当たって落っこちる。それはころころと赤い糸を繰り出しながら転がっていき、やがて部屋の隅で止まった。 「な、なななな、何云ってるのよつかさ」 「……本当だよ?」 そう云って、にっこりと笑った。 「……ありがとう。でも私、本当はそんなに出来た人間じゃないんだよ」 「うん、最近はちょっとわかるようになったの。お姉ちゃん、わたしのためにずっと無理してたんだなって」 つかさは、転がっていった玉巻を拾ってくるくると巻きだした。その瞬間私たちの間には赤い糸が架かっていて、けれどすぐに巻き終わって玉巻をベッドに置くと、その絆も消えてしまった。 「――別に、あんたのためじゃないわよ」 「でも、わたしのためになってたから。だからこんな風にお姉ちゃんのために何かできるの、すっごく嬉しいな」 つかさは、隣に座って落ちていた編み棒を私に握らせた。 腰を据えて教えるつもりになったのだろう、真剣な顔つきをしていて、きりりと上がった眉尻がなんだか酷く頼もしく見えた。 「あ、ほら、そこはそのまま拾っちゃうと、穴が開いちゃうでしょう?」 「……ほんとだ」 「こう、くるっとねじって拾い目するといいんだよ」 「くるっと?」 「こう、くるっと」 「……わかんない」 そう云って口を尖らすと、つかさは突然ぷーっと吹き出してケタケタと笑い始めた。 「わ、笑うなー!」 「あはははは、だ、だってお姉ちゃん、凄い可愛いんだもん」 お腹を抱えて足をぱたぱたさせながら、涙を流して笑い続けるつかさだった。 「ちょっと……笑いすぎだよ」 「あははは、ご、ごめん、なんかつぼに……あははは」 私のために何かできるのが嬉しい。そう云ったさっきの台詞は一体なんだったのか。 ――もう放っておこう。 ひーひー云ってるつかさを無視して、編み物に精を出す。 くるっとねじって拾い目、か。 編み地から一本渡っている糸を拾って、ねじってから通そうとするけれど、今一ピンとこなくて上手くいかなかった。改めて私はなんて不器用なんだろうと思う。それは編み物のことだけではなくて、こなたとのことだってそうなのだろう。 不器用で、融通が利かなくて、生真面目で。 本当はきっと、もっとスマートできれいな解決方法があるのだろう。でも私にはそんな解決方法は思いつきもしなかったのだ。 そんなことを考えていると、突然背中にふわりと柔らかい感触が降ってきた。 「――つかさ?」 気がつくと、つかさに後ろから抱きしめられるような格好になっていた。肩に顎を乗せたつかさの顔が、私の顔のすぐ横にある。 「んーっとね、こうやってねじって、付け根から指先の方に棒を通すんだよ」 そう云って、後ろから私の指を取って動かしてくれた。なるほど口では説明しづらいと思って、手を取ってみせてくれたのだろう。 ――でも、これは。 つかさの吐息が頬にかかって、それが少しだけくすぐったい。 たまに頬と頬が触れあうと、そのすべすべとした感触に驚いて。 ふわりと漂う香りは私とは違う、つかさだけが纏っている匂いなのだった。――つかさは、夏頃からは私の真似ではなく、自分で選んだ化粧水を使うようになっていた。 そうして背中を包み込むつかさの身体は柔らかくて暖かくて、私はその感触に少しだけどきどきしていた。けれどそれ以上に、妹に抱きしめられているというその事実は私の心をほっこりと暖めてくれていて、冬の最中だというのに寒さなんて少しも感じられなかった。 「――あ、こうか!」 「そうそう、それだよー。ごめんね上手く説明できなくって――って、あっ!」 やっとできるようになって二人で顔を見合わせて笑っていたのに、つかさは突然そんな叫び声を上げると、弾かれたような動作で私の背中から身を引いた。 「どうしたのよ?」 「あ、ううん。その、ごめんねわたし、抱きついたりして迷惑だったかな……?」 うつむきがちにそう云ったつかさを見ていて、私はやっとつかさの考えを飲み込めた。自分が抱きつくことで、私が変な感情を感じてしまったら困るだろうと。つかさはそう思って身を引いたようだった。 「なぁにそれ、気を遣いすぎだって。心配しなくても、妹に欲情したりしないわよ」 苦笑して、つかさのおでこを軽く突っついた。 それは、確かに少しどきどきはしたけれど。そんなことはわざわざ云うことでもないだろう。 「そ、そっか、そうだよね。えへへ、ごめんね。わたしそう云うのよくわかんなくって」 「まあ、家で男の人って云ったらお父さんだけだもんねー」 「そうそう、だからそういうの想像できなくって。お父さんのこと考えても全然なんていうか、ねー?」 ひとしきり実の父親のことを好き勝手に云い合って、ふと時計を見上げればもうつかさの部屋に来てから二十分ほど経っていた。 「ああ、いけない、そろそろ勉強に戻らないと――」 そう云って立ち上がろうとしたけれど、それはできなかった。 後ろから覆い被さってきたつかさが、ぎゅっと私の身体に腕を回して抱きしめていたからだ。 「――つかさ?」 先ほどとは違う、抱きしめることを目的としたその行為に驚いて、そうして馬鹿みたいに少しだけ胸が高鳴った。 「お姉ちゃん、大学受かったら一人暮らしするって、本当?」 私の背中に顔を埋めたまま、くぐもった声でつかさが問いかけた。 ――ああ、そうか。誰かからもう聞いていたのか。 それは、云おう云おうとは思っていたけれど改めてつかさに云うタイミングがみつからなくて、ずっと云えないままにしていたことだった。 「――うん、慶応に受かったら、だけどね。そう考えてるよ」 「――どうして」 「んー、やっぱり片道二時間とかはきついかなぁって」 「それだけ?」 「相談してみたら、そのくらい負担じゃないくらいの収入はあるからって。いのり姉さんからも背中押されちゃったしね」 「それだけ?」 「家事を全部やらないといけないのは大変だけど、やっぱりそういうの全部つかさに頼りっきりの人生だと情けないからさ」 「それだけ?」 「司法試験の予備校とかもあって、そういうところに通うときにも東京の方が色々便利だよね」 「本当に、それだけなの?」 その声はいやに近くから聞こえてきて、振り向くとつかさの顔はすぐ目の前にある。今にもおでこが触れあいそうなほど近くで私を見つめるつかさは、少し涙ぐんでいた。 「こなちゃんから距離を取りたいとか、わたしから離れたいとか、そういうことじゃないの?」 段々と容積を増やしていったつかさの涙は、云い終わると同時にぽろりと決壊して、目尻からこぼれ落ちていく。 人の涙はどうしてこんなにきれいなんだろう。そんなことを考える。 「――違うよ。そんな部分も少しはあるかもしれないけど、本当にさっき云った理由がほとんどだよ」 そう云って、肩に置かれたつかさの手に手を重ねて撫でさする。 ――その時私は、小さな嘘をついた。 こなたから距離を取りたいなんて思わないけれど、つかさから離れたいとは少しだけ思っていた。 こんなに優しくて暖かいつかさと一緒にいたら、きっと私は駄目になってしまうから。いつもつかさがいるというだけで安心してしまって、一歩も前に進めなくなってしまうから。 だから私は、一人でやっていけることを自分に証明しないといけないと、そう思ったのだ。それができなければ、こなたとの新しい関係なんて、到底築くことはできないだろう。 つかさだってそうだ。本当は一人でなんでもできるのに。もっともっと色々な可能性を持っているはずなのに。私がいることで、私が護ろうとしたことで、私はつかさの可能性を狭めてしまっていた。 もう、私たちはそれぞれの道を進まないといけない。二人で一人の双子ではなくて。お互いがお互いに依存する関係ではなくて。それぞれに別れたそれぞれの道を。 あの夏の日に別れてしまった、その道を。 けれどこれ以上つかさを悲しませたくなくて、私は小さな嘘をついたのだ。 そんな嘘なんて、私にとっては簡単なものだった。この半年間、もっともっと沢山の嘘を私はついてきたのだから。 「――どうして」 「ん?」 私の背中に顔を埋めて、いやいやをするように頬を押しつけながらつかさは云った。 「どうして普通の女の子は女の子を好きになれないの? もしわたしがそうできたなら、絶対お姉ちゃんを離さないのに……」 「――そんなこと」 言葉を続けようとした私の喉から、奇妙なくぐもった音が漏れ出して。 「――そんなこと、云わないで」 そうして私の瞳からも、涙が次々とこぼれ落ちていく。 冬の夜。その部屋を二人分の泣き声が満たしていって。 私たちは、また少しだけ大人になった。 『4seasons』 冬/きれいな感情(第三話)へ続く コメントフォーム 名前 コメント かがみ×つかさ も良い ですね! -- チャムチロ (2012-08-15 14 26 38) かがつかフラグ…っ! かがみはつかさに欲情しないとか言ってるけどバイなんだから実際はちょっと意識してるんだろうな その微妙なかがみのドキドキ感も描写されてて改めて凄いと思った -- 名無しさん (2008-08-13 02 26 16) 続き、続きは~?まだ~? -- 名無しさん (2008-05-31 20 43 12) 何でこんなに続きが気になるのでしょうか……orz gj! -- 名無しさん (2008-05-30 17 09 56) つかさ……なんて恐ろしい子…! -- 名無しさん (2008-05-30 13 50 02) 大人になるってなんだろう?人を好きになる、愛するってなんだろう?……すごく難しい -- 名無しさん (2008-05-30 06 27 19) ああ、何て切ないんだ…。 どうかラッキー・スターたちに幸せな春が訪れますように。 余談ながら、更新されたかどうか一日に八回ぐらいチェケしてます。 いつも素敵なお話をありがとう! -- ぱぶ (2008-05-30 02 48 32)